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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

この山でも、またエルサレムでもない所で

終わりの日の警告 聖別(キリストとの交わり)

ヨハネ4:19-24

19 女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。

20 わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。

21 イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。

22 あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。

23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

24 神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。  

 イエス・キリストは、祝福が置かれたゲリジム山(申命記11:29)でも、主の名を置くために選ばれたエルサレム(Ⅱ歴代6:6)でもない所で、父なる神を礼拝する時が来たことを啓示した。「そうだ、今来ている」。父なる神の性質とその心を完全に知っておられた御子の喜びが、ここに暗示されている。

 時間や空間の制限を受けない霊なる神自身が、御子の死と復活を通して、御自身が喜ぶ礼拝を捧げる可能性を全人類に与えてくださったのである。それは、「霊と真理による礼拝」である。場所や時間、環境によって制限されず、真理の土台をもつ礼拝である。

 この父なる神の御心を知っていたからこそ、不当な理由で投獄されたパウロとシラスは、足に足かせをつけたまま、ピリピの牢獄の中で真夜中に賛美をささげたのである。

使徒16:25

真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。 

 同様に老使徒ヨハネは、流刑の島パトモスにおいて主なる神に礼拝を捧げ、終わりの時の偉大なる啓示を受けた。

黙示録1:9,10

9 あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。

10 ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。 

 イエス・キリストの恵みによって救いを受けた者は、だれでもこの「霊と真理による礼拝」を体験する。地球上のどのような場所にいても、またどのような環境に置かれていても(たとえそれが劣悪なもので、礼拝するのに全くふさわしい環境でないとしても)、信仰によってキリストと共に「天上の座」についていることを体験するのである。

エペソ2:4-6

4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、

5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――

6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。

 「父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである」。父なる神自身が求めているからこそ、神自身が御子によってこのような素晴らしい可能性を備え、与えてくださったのである。

 誰にも、如何なる人間にも(たとえ霊的に見えたとしてもである)、その恵みを奪い取られてはならない。

ピリピ3:2,3

2 あの犬どもを警戒しなさい。悪い働き人たちを警戒しなさい。肉に割礼の傷をつけている人たちを警戒しなさい。

3 神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。