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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

余った部品

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マタイ4:4

イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。 

Ⅱテモテ3:16

聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 

Ⅱペテロ1:20,21

20 聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。 

21 なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。 

 おそらく男性だったら殆どの人が、子供の頃に時計やラジオ、モーター等の中を開けてみる誘惑に負けてしまった経験があるのではないだろうか。中の構造を見るぐらいでやめとけばいいものを、ドキドキしながらメカニズムを解体し始め、一通りバラした部品を並べてみたときのあの何とも言えない満足感。しかし、いざ組み立てなおす段階になって、ネジがいつの間にかなくなっていたり、うまく組み込めずにあきらめてしまったり、どこについていた部品かわからなくなってしまったりして、そのまま引き出しの奥にしまっておいたりしたものだった。そんな部品の一つを時々引っ張り出しては、その奇妙な形をした部品に想像を膨らましていたのは、私だけではないと思う。

 子供の好奇心の範疇だったら微笑ましいことでも、こと聖書の解釈においては、全く笑えない状況になる。聖書を「バラバラに解体し」、自分の理解を超える「手に負えない部品」や、自分の見方を肯定しない「余分な部品」を脇に置いておいて、自分流に組み立ててしまい、満足してしまう。アラームが鳴らなくなったとしても、時計として時刻を刻んでいれば十分、といって、「余った部品」をそのまま引き出しの奥にしまってしまうのだ。

 「神の口から出る一つ一つの言」「聖書は、すべて」「聖書の預言はすべて」

 これらの表現は、聖書に「余分な部品」というものがないことを教えており、また全体の目的をよく理解する努力が必要であることを啓示している。

 あなたの引き出しの奥に「余った部品」はないだろうか。