マタイ27:19
また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」
ローマ総督ピラトの妻がどんな夢を見たのか、聖書は明らかにしていない。しかし、公の審議中の夫に慌てて伝言を渡す程だから、相当強烈な夢だったのだろう。
(新共同訳)
その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。
(岩波翻訳委員会訳1995)
なぜなら、私は今朝、彼のために夢でさんざんな目にあったからです。
(口語訳)
わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから。
それは、彼女の良心を厳しく呵責する神からのメッセージだった。しかし彼女は、その正しさによって静かにかつ厳格に語りかけてくるイエス・キリストと、「何の係わりも持たない」という解決策を選んだ。真理と係わらないことで偽りの中に、光と係わらないことで闇の中に自らを置き、良心の呵責と苦悩の原因である罪の問題に向き合うことを拒んだのである。
しかし、ピラトが目の前に立っている「正しい人」と係わりを持たないことができなかったように、この地上において誰も、イエス・キリストと係わらずにいることはできない。主なる神自身が、私達一人ひとりと係わりを持ちたいと願っておられるからだ。そして、私達の魂の最も深い問題を解決することを強く願っておられる。だからこそ、ある時は夢を通して、ある時は病気や苦しみを通して、ある時は御言葉や信者の証しを通して、私達の良心に力強く語りかけてくださるのである。
ヨブ33:14-30
14 神は一つの方法によって語られ、また二つの方法によって語られるのだが、人はそれを悟らないのだ。
15 人々が熟睡するとき、または床にまどろむとき、夢あるいは夜の幻のうちで、
16 彼は人々の耳を開き、警告をもって彼らを恐れさせ、
17 こうして人にその悪しきわざを離れさせ、高ぶりを人から除き、
18 その魂を守って、墓に至らせず、その命を守って、つるぎに滅びないようにされる。
19 人はまたその床の上で痛みによって懲らされ、その骨に戦いが絶えることなく、
20 その命は、食物をいとい、その食欲は、おいしい食物をきらう。
21 その肉はやせ落ちて見えず、その骨は見えなかったものまでもあらわになり、
22 その魂は墓に近づき、その命は滅ぼす者に近づく。
23 もしそこに彼のためにひとりの天使があり、千のうちのひとりであって、仲保となり、人にその正しい道を示すならば、
24 神は彼をあわれんで言われる、『彼を救って、墓に下ることを免れさせよ、わたしはすでにあがないしろを得た。
25 彼の肉を幼な子の肉よりもみずみずしくならせ、彼を若い時の元気に帰らせよ』と。
26 その時、彼が神に祈るならば、神は彼を顧み、喜びをもって、み前にいたらせ、その救を人に告げ知らせられる。
27 彼は人々の前に歌って言う、『わたしは罪を犯し、正しい事を曲げた。しかしわたしに報復がなかった。
28 彼はわたしの魂をあがなって、墓に下らせられなかった。わたしの命は光を見ることができる』と。
29 見よ、神はこれらすべての事をふたたび、みたび人に行い、
30 その魂を墓から引き返し、彼に命の光を見させられる。
私達罪びとと神の仲保者は、御子イエス・キリストであり、また信じるものの心に与えられる御霊である。
Ⅰテモテ2:4-6
4 神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。
5 神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。
6 彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられたが、それは、定められた時になされたあかしにほかならない。
ピラトが妻の忠告をどのように捉えたかはわからないが、最終的にユダヤ人の民衆に責任転嫁することで、「何が正しいかを明確に示していたイエス・キリストと係わりを持ってしまった」責任から逃れる決断をした。
マタイ27:24,25
24 ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。
25 すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。
しかし、この世のどんな水も、神の御子イエスを十字架に架けてしまった罪から私達の手を清めることはできない。ただ、御子の尊き血によってのみ、私たちの罪は赦され、清められるのである。
Ⅰヨハネ1:5-10
5 わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。
6 神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。
7 しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
8 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
10 もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。
2:1-6
1 わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。
2 彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。
3 もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。
4 「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。
5 しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。
6 「彼におる」と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである。
ピラトの妻の忠告から約三十年過ぎて、まだ救われていない異邦人の福音宣教のためにすべてを捧げてきたパウロが、係わりを持たないように試みたピラトにも真理を証ししたイエス・キリストについて語っているのは、とても意味深い。
Ⅰテモテ6:13-15
13 わたしはすべてのものを生かして下さる神のみまえと、またポンテオ・ピラトの面前でりっぱなあかしをなさったキリスト・イエスのみまえで、あなたに命じる。
14 わたしたちの主イエス・キリストの出現まで、その戒めを汚すことがなく、また、それを非難のないように守りなさい。
15 時がくれば、祝福に満ちた、ただひとりの力あるかた、もろもろの王の王、もろもろの主の主が、キリストを出現させて下さるであろう。
「キリストの戒めを汚すことがなく、また、それを非難のないように守る」こと。使徒パウロが、人生の責務として伝道者テモテに命じたことである。それはまた私たちの責務でもある。