an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ブーメラン

 過度の自己解釈癖は、それ自体、無意味感に対する反応として解釈することができます。ブーメランは目標である獲物をはずれた時だけ、それを投げた狩人のところへもどってくるのと同様に、人間は、自分の本来の願いが挫かれた時、つまり意味探求の欲求が満たされなかった時に初めて、自分自身に向かい、ますます自分自身の解釈にかかずらうようになるのです。

(引用元:『意味への意志』 V.E.フランクル 春秋社)

 自己の霊的状態に対する過度の執着は、キリストという「本来の的」を外したその結果である、と言い直すことはできないだろうか。オズワルド・チャンバーが彼の著書『いと高き方のもとに』で繰り返し語っていることである。

 十字架にかけられたキリストを見続けること、それ以外に真の解放の道はない。