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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

サムソンもいる

へブル11:32

このほか、何を言おうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう。

 

へブル12:1

こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。  

 私は長い間、へブル書十一章に列記されている信仰によって生き抜いた証人のなかに、サムソンが入っている事実に関して納得できないでいた。士師記十三章から十六章まで読めば、誰でも私が感じていた戸惑いを理解してもらえると思う。お世辞にも聖潔な人生を送ったとは言えない男である。それでも、聖霊はへブル人への手紙を書いた筆者に霊感を与え、サムソンの名前を信仰の証人達のリストの中に入れた。彼が生きた時代とそれほど離れていない時代にさえ、カレブとかルツとか信仰によって生きて証人たちの記録が残っているにもかかわらずである。

 しかし、今日この個所に関して話している時に示されたのである。彼の名は、このような信仰の証人たちに雲のように囲まれている、恵みの時に生きる私たちに対する「励まし」であり、また「私たちの責任」を明らかにしているのではないだろうか、と。サムソンは、恵みの時に生きる私達のように新約聖書をもっていなかった。私達のように、聖霊の内住の恵みを知らなかった。信仰の証人たちの中にいるサムソンを前にして、サムソンが持つことが許されていなかった恵みの豊かさを享受している私達は、神の前でより責任を持っている存在ではないか。私たちが肉欲の誘惑に負けてしまう時、また聖霊の賜物を自分の目的の達成のために使って平気な顔をしている私たちに対する訓告であり、またこれらの証人たちがキリストのことを「遠くから」見ていた以上に、日々犯してしまう罪の赦しを得るために、絶えず「世の罪を取り除く神の子羊」を見続けることができるその恵みの中に留まる様、私たちを励ましているのではないか。