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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「血の戒め」と「キリストの律法」(2)

十字架の言 聖書による検証 知恵

使徒15:19-21

19 そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。

20 ただ、偶像に供えて汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるようにと、彼らに書き送ることにしたい。

21 古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」。 

 ()において、エルサレム会議の決定が、モーセの律法を強いることによって「異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない」と同時に、「モーセの律法の下にあるユダヤ人たちの躓きになってはいけない」という、「キリストの愛の律法」によるものであることを記した。

 だから20節や29節の「血の戒め」を含む四つの事項を文脈から切り離し、律法的解釈、つまり「これを守らなければ救われない」「これを守れば救われる」と解釈するのは見当違いである。もしそのような解釈するならば、「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張し、アンテオケ教会の異邦人信徒を煩わせていた「パリサイ派から信仰にはいってきた人たち」と同じことをしていると見做されるだろう。

 キリストの恵みの福音によって救われたキリスト者は、狡猾な偽善に十分気を付けなければならない。なぜならエルサレム会議において、パリサイ派から信仰に入った人々の要求に対して「しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか」と大胆に反駁していた使徒ペテロでさえ、 後にアンテオケの教会において、その偽善の罠に陥ったからである。

ガラテヤ2:11-14

11 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。

12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。

13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。

14 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。 

 使徒パウロはここではっきりと、使徒ペテロがユダヤ人であるのにユダヤ人の様に生活しないで、異邦人のように生活している」と指摘している。つまりペテロは、恵みの福音に基づき、律法の規定の縄目から解放され、異邦人と変わらない生活をし、異邦人信徒との交わりをもっていたのである。これだけだったら、福音の真理に従っているのだから問題はなかったが、ヤコブのもとから、つまりエルサレム教会からユダヤ人信徒たちが来ると、彼らの目を恐れ、異邦人との交わりから身を引き、異邦人信徒をまるで「自分たちユダヤ人とは異なる、律法を守っていない穢れた存在」であるかのように扱ったからである。それはつまり「異邦人信徒にユダヤ人のようになることを強いている」ようなことで、それを使徒パウロは偽善として断罪したのであった。

 信仰者は、偶像に捧げられた肉や、血を肉と共に食べることを避けているから、神に義を認められるのではない。ただ主イエス・キリストの身代わりの死と復活を信じたことによって、神に義と認められたのである。

 同様に、信仰者は福音による自由が、放縦や隣人の躓きの原因にならないように気を付ける。

Ⅰコリント8:8-12

8 食物は、わたしたちを神に導くものではない。食べなくても損はないし、食べても益にはならない。 

9 しかし、あなたがたのこの自由が、弱い者たちのつまずきにならないように、気をつけなさい。

10 なぜなら、ある人が、知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのを見た場合、その人の良心が弱いため、それに「教育されて」、偶像への供え物を食べるようにならないだろうか。

11 するとその弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。

12 このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、その弱い良心を痛めるのは、キリストに対して罪を犯すことなのである。 

ガラテヤ5:13-15

13 兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。

14 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。

15 気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう。 

ヤコブ2:10-13

10 なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。

11 たとえば、「姦淫するな」と言われたかたは、また「殺すな」とも仰せになった。そこで、たとい姦淫はしなくても、人殺しをすれば、律法の違反者になったことになる。

12 だから、自由の律法によってさばかるべき者らしく語り、かつ行いなさい。

13 あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される。あわれみは、さばきにうち勝つ。 

Ⅰペテロ2:16

自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動しなさい。 

 黙示録には、ペルガモとテアテラの町に、福音の自由を放縦に変え、信徒たちを罪に陥れていれていた偽教師がいたことが記されている。

黙示録2:14-15

14 しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。

15 同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。 

黙示録2:20

しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。

 主イエス・キリスト自身が「私の僕たちを教え・・・」と言っている。主イエスの僕たちに主イエスの教えとは異なることを教え、惑わし、罪を犯させる。

 何とも恐ろしいことだが、使徒ペテロが陥った偽善と同様、決して私たちから遠く離れたところにある現実ではない。