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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

弱さのうちに顕れるキリストのいのち(5)折り曲げられた背中

ルカ13:10-17

 安息日に、ある会堂で教えておられると、そこに十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女がいた。イエスはこの女を見て、呼びよせ、「女よ、あなたの病気はなおった」と言って、手をその上に置かれた。すると立ちどころに、そのからだがまっすぐになり、そして神をたたえはじめた。ところが会堂司は、イエスが安息日に病気をいやされたことを憤り、群衆にむかって言った、「働くべき日は六日ある。その間に、なおしてもらいにきなさい。安息日にはいけない」。主はこれに答えて言われた、「偽善者たちよ、あなたがたはだれでも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではないか。それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」。 こう言われたので、イエスに反対していた人たちはみな恥じ入った。そして群衆はこぞって、イエスがなされたすべてのすばらしいみわざを見て喜んだ。

 

 この女性が十八年間背負っていた重荷をどうしたら想像できるだろうか。一体、何歳ぐらいだったろうか。一人の女性が真っ直ぐに立つこともできず、普通の人のように腰を伸ばそうとすれば激痛が走るだけで、体を伸ばすことが全くできないのだ。しかし、高齢が原因で背中が曲がってしまったわけではないのは、聖書に書いてある。「病気の霊」「サタンに縛られていた」とあるが、イエス・キリストが手を置かれたところを見ると、悪霊に憑りつかれていたわけではないようである(新約聖書では、悪霊に憑りつかれた人を解放するために、手を置くという手段を使ったという記述は見当たらない)。

 しかも意味深い点は、この女性が会堂にいて安息日の礼拝に参加していたことだ。女性が癒された事実よりも、安息日に関する教えに固執する会堂司の偽善的態度から判断すると、彼女がこの会堂での集まりで然るべき対応を受けていたかは、はなはだ疑問である。逆に宗教的偽善の霊は、彼女の折れ曲がった背中をさらに上から押さえつけていたのではないだろうか。

 会堂のメンバーの中には、彼女に近づいて憐みの言葉をかけてくる人もいたはずである。しかし、その折れ曲がった背中では、彼女はその人のつま先しか見ることができなかったのだ。そして本当の霊的交わりもなく、そのつま先は彼女の視界から消えていっていた。何の希望も与えることもできずに。

 しかしイエスは違った。全知全能の神が人となり、遜って地上にきて、「体をかがめて」自らを低くしてくださったのである。十八年間、埃っぽい地面しか見れなかったこの女性が、希望の光を見ることができた程、イエスは自ら遜ってくださったのだ。

 たとい私たちが「地面に這いつくばる」ような生活を余儀なくされたとしても、イエス・キリストは私たちと共にいて、天の栄光を見させてくれる。

 

ピリピ2:6-11

 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。 

 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。

哀歌3:17-33

わが魂は平和を失い、わたしは幸福を忘れた。 

そこでわたしは言った、「わが栄えはうせ去り、わたしが主に望むところのものもうせ去った」と。 

どうか、わが悩みと苦しみ、にがよもぎと胆汁とを心に留めてください。 

わが魂は絶えずこれを思って、わがうちにうなだれる。 

しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、わたしは望みをいだく。 

主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。 

これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。 

わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。 

主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。 

主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。 

人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。 

主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。 

口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。 

おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。 

主はとこしえにこのような人を捨てられないからである。 

彼は悩みを与えられるが、そのいつくしみが豊かなので、またあわれみをたれられる。 

彼は心から人の子を苦しめ悩ますことをされないからである。