an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

葦の海に通じる荒野の道

出エジプト13:17-20(新共同訳)

17 さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。

18 神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。

19 モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。

20 一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。

21 主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。

22 昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。

 この箇所において新共同訳は、主なる神がイスラエルの民をエジプトから導き出した時のルートに関して、「葦の海に通じる荒野の道」と訳出している。新改訳や口語訳は「葦の海に沿う荒野の道」「紅海に沿う荒野の道」と訳出し、シナイ山への道程の異なる解釈の影響が見受けられる。

 英語訳においては、以下のバージョンなどがその方向性を明確に訳出している。

(New International Version)
So God led the people around by the desert road toward the Red Sea. The Israelites went up out of Egypt ready for battle.

 

(International Standard Version)
So God led the people the roundabout way of the desert toward the Reed Sea. The Israelis went up from the land of Egypt in military formation.

  最近の記事において何度か、聖書が現代のアカバ湾のことを「葦の海」と呼んでいること(民数記21:4やⅠ列王9:26を参照)を示したが、その前提に基づくならば、「葦の海に通じる荒野の道」は下図の赤線で示されている「王の道」であると思われる。(ちなみに青い線は、新共同訳の表現を使うなら「ペリシテ街道」、つまり「海の道 Via Maris」である。)

 「海沿いの道」ではなく「荒野の道」と表現していることも意味深い。

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 この「王の道」は、エジプトとメソポタミアやアラビアを結ぶ重要な交易路を構成しており、紀元前20世紀頃にはすでに利用されていた。エジプトのファラオ(パロ)からミデアンの地に逃亡したモーセも、最短距離でミデアンへ行けるこの道を選んだのでないかと推測できる。

 またホレブ山で主なる神から召命を受けた後、妻子を連れてエジプトに戻る時も、この道を通って行ったのではないだろうか。

出エジプト4:19-20

19 主はミデヤンでモーセに仰せられた。「エジプトに帰って行け。あなたのいのちを求めていた者は、みな死んだ。」 

20 そこで、モーセは妻や息子たちを連れ、彼らをろばに乗せてエジプトの地へ帰った。モーセは手に神の杖を持っていた。 

 しかしこの場合、その後にモーセが兄アロンと神の山で出会うエピソードの解釈がわかりづらい。

出エジプト4:27-28

27 それから、主はアロンに仰せられた。「荒野に行って、モーセに会え。」彼は行って、神の山でモーセに会い、口づけした。 

28 モーセは自分を遣わすときに主が語られたことばのすべてと、命じられたしるしのすべてを、アロンに告げた。 

 エジプトに戻る旅の途中で神の山を通ったということは、モーセがミデアンの地の東の地域に住んでいたからかも知れない。(しかしエジプトで奴隷だったはずのアロンは、一体どこから来たのだろうか。)

出エジプト3:1

モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の西側に追って行き、神の山ホレブにやって来た。 

 

 この「葦の海に通じる荒野の道」で興味深い要素は、エタムという名の途上の宿営地である。

一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。

 そして主なる神は、このエタムの先で、突然イスラエルの民に進路変更するように命令した。

民数記33:5-8

5 こうしてイスラエルの人々はラメセスを出立してスコテに宿営し、 

6 スコテを出立して荒野の端にあるエタムに宿営し、 

7  エタムを出立してバアル・ゼポンの前にあるピハヒロテに引き返してミグドルの前に宿営し、 

8 ピハヒロテを出立して、海のなかをとおって荒野に入り、エタムの荒野を三日路ほど行って、メラに宿営し、 

 エタムは聖書における原語では【אֵתָם 'êthâm ay-thawm'】であるが、以下の現代の地図上で【Ath Thamad】と書いてある地点ではないかと言われている。

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 同じ地図のヘブライ語版。

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 以下、民数記33章の記述を基に、イスラエルの民の道程と宿営地、そして時期について表にしたものを添付する。

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 ラムセスを出発してから、葦の海を横断し、シナイ山の麓の平野まで約1か月半かかったことがわかる。

出エジプト16:1

ついで、イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にはいった。 

出エジプト19:1

エジプトの地を出たイスラエル人は、第三の月の新月のその日に、シナイの荒野にはいった。 

 また「宿営」とは、天幕を張って停留したことを意味し、民数記33:8から考えると、必ずしも毎晩休んだ場所で天幕を張っていたのではなく、三日路程歩き、大群衆が天幕を張ることができる空間で宿営していたと推測できる。

ピ・ハヒロテから旅立って海の真中を通って荒野に向かい、エタムの荒野を三日路ほど行ってマラに宿営した。 

 また少なくともエジプト軍の追跡を恐れていた時、つまり葦の海までは、民は「昼も夜も」歩いて先を急いでいたことがわかる。

出エジプト13:21

主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。 

 

 こうして読んでみると、主なる神はペリシテ街道という近道があったにもかかわらず、より困難な「葦の海に通じる荒野の道」をイスラエルの民に通らせ、さらにその道から離れて、まるで「荒野に閉じ込められたような出口のない道」を南下させ、「海のなかをとおって」、つまり「道なき道」を通るように導いたのであった。

 当時のイスラエルの民は、エジプトで奴隷として生れ、自由に行きたいところに行ける身分ではなかった。おそらく自分たちがどこへ向かっているか理解している人は、ミデアンの地で羊飼いとして40年間過ごしたモーセぐらいだったのではないだろうか。

 全く初めて通る荒野の道。どこまで続いているかわからない狭い渓谷の道。荒野の夜の闇に包まれた道。民が不安になるのも理解できることである。

 しかしそのような道を進むように導かれた主なる神が、その民と共におられたことは、人生において同じような「道」を歩む私たちにとって、大きな慰めである。

主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた

Ⅰコリント10:1-4

1 そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。 

2 そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、 

3 みな同じ御霊の食べ物を食べ、 

4 みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。 

Ⅰコリント10:13

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

 

「帰ってはならない道」「覚えていなければならない道」

 イスラエルの民のエジプト脱出のルートやシナイ山(ホレブ山)の位置に関して調べてみると、意外にも多くの説があり、また互いに相反する情報が混在していて、詳細を知ろうとする思いを非常に困惑させる。問題の一つは、聖書に記録されている地名の多くに関して、現在の地理的位置がわからないことである。このテーマに関する「良心的な」ルートマップなどは、地名の後に「?」を付けているが、単なる推測が定説のように扱われている場合さえもある。

 以下の添付図は、推定しうる軌跡として表示されているが、いくつかの地名には「?」が付けられている。

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 またごく小さな場所の地名に限らず、ある程度の広さをもった地方についても、その領域について様々な説があり、さらに時代によってその領域も異なる可能性もあるので、実に難しい問題である。

 例えば、聖書には明確にホレブ山(シナイ山)がミデアンの地にあり、モーセは40年間その地で遊牧民として生活し、そして神の声を聞いたことが記述されている。

出エジプト2:15-16

15 パロはこの事を聞いて、モーセを殺そうとした。しかしモーセはパロの前をのがれて、ミデヤンの地に行き、井戸のかたわらに座していた。 

16 さて、ミデヤンの祭司に七人の娘があった。彼女たちはきて水をくみ、水槽にみたして父の羊の群れに飲ませようとしたが、 

出エジプト3:1;12

1 モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた。 

12 神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」 

出エジプト4:19

主はミデヤンでモーセに言われた、「エジプトに帰って行きなさい。あなたの命を求めた人々はみな死んだ」。 

 しかし上図のように、アカバ湾東岸の一帯を「ミデアン」と考える説が多い中、その領域をアカバ湾西岸、つまりいわゆるシナイ半島の領域まで拡張する説も存在する。

 さらにそのアカバ湾に関しても、聖書はその場所を「葦の海」と特定しているのに対して、多くの通説では現在のスエズ湾まで拡張して考えている。

Ⅰ列王9:26

また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエラテに近いエツヨン・ゲベルに船団を設けた。

民数記21:4

彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、

  また先日の記事で取り上げたカデシ・バルネアに関しても、Ain el-Qudeirat (もしくはEin Qudeirat)であると、主なる神がアブラハムに対して約束し、それをモーセ自身が書き記した、約束の地の南端よりも内側に位置してしまい、聖書の記述と矛盾が生じてしまう。

申命記9:23

また主はカデシ・バルネアから、あなたがたをつかわそうとされた時、『上って行って、わたしが与える地を占領せよ』と言われた。ところが、あなたがたはあなたがたの神、主の命令にそむき、彼を信ぜず、また彼の声に聞き従わなかった。 

 つまりイスラエルの民はすでに約束の地の境界線を越えて中に入り込んでいたことになってしまうのである!

 それゆえ、ヨルダン渓谷の東側にあるペトラがカデシ・バルネアではないか、という説もある。

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 このように、シナイ山やミデアン、葦の海、カデシ・バルネアといった聖書的に重要な場所でさえも、その位置や領域に様々な見解があるのは悩ましいと同時に、興味深いことでもある。

 というのは、モーセを通して細かくそのルートを記録させた主なる神は、時の流れがそのしるしを曖昧にすることを許したからである。主が望んだなら、そのイスラエルの民の通過点に、ローマ時代のマイルストーンのようなものを残すように命令することもできただろう。

 しかしそれを命じなかったのは、イスラエルの民を奴隷状態から解放し、約束の地に導き入れると決め、それを実現した主なる神には、一旦約束の地に入ったイスラエルの民にとってその道は「帰ってはならない道」「見てはならない道」であり、ホレブ山があったミデアンの地も「異邦人の地」であったからではないだろうか。

申命記17:16

王となる人は自分のために馬を多く獲ようとしてはならない。また馬を多く獲るために民をエジプトに帰らせてはならない。主はあなたがたにむかって、『この後かさねてこの道に帰ってはならない』と仰せられたからである。  

  そしてそれらの道程がモーセによって詳細に書き記された目的は、その各場所自体を特定するためではなく、霊的な目的を持っていたことが、以下の聖句で理解することができる。

申命記8:1-3

1 わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。 

2 あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。 

3 それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。  

  それは、それぞれ不確かで矛盾にさえ思える諸説によって混乱しがちな現代の私たちの考えを、神の思いに沿ったものに修正する啓示ではないだろうか。

Ⅰコリント10:1-14

1 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、 

2 みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。 

3 また、みな同じ霊の食物を食べ、 

4 みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。 

5 しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。 

6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。 

7 だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。 

8 また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。 

9 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。

10 また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。 

11 これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。 

12 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。 

13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。 

14 それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。  

「アラビアにあるシナイ山」「今のエルサレム」そして「上のエルサレム」

ガラテヤ4:21-31

21 律法の下にいたいと思う人たちは、私に答えてください。あなたがたは律法の言うことを聞かないのですか。

22 そこには、アブラハムにふたりの子があって、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生まれた、と書かれています。

23 女奴隷の子は肉によって生まれ、自由の女の子は約束によって生まれたのです。

24 このことには比喩があります。この女たちは二つの契約です。一つはシナイ山から出ており、奴隷となる子を産みます。その女はハガルです。

25 このハガルは、アラビヤにあるシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、彼女はその子どもたちとともに奴隷だからです。

26 しかし、上にあるエルサレムは自由であり、私たちの母です。

27 すなわち、こう書いてあります。「喜べ。子を産まない不妊の女よ。声をあげて呼ばわれ。産みの苦しみを知らない女よ。夫に捨てられた女の産む子どもは、夫のある女の産む子どもよりも多い。」

28 兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。

29 しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

30 しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

31 こういうわけで、兄弟たちよ。私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。

 『ガラテヤびとへの手紙』の3章と4章、いや、手紙全体を通して、使徒パウロは二つのカテゴリー、つまり「律法の下にいる者」と「恵みの下にいる者」、「肉にある者」と「御霊にある者」、という対立について書き記されており、手紙の受け取り人であったガラテヤの信徒たちがユダヤ人偽教師たちの教えに惑わされているのに対して、「あなたがたはどちらに属しているべきか」と問いかけている。

 そして冒頭の聖句において、その対立を創世記に記述されている二人の女性サラとハガルの例を引き合いに出し、そのシンボリズムについて解説している。

 以下の表は、その対立を表にまとめたものである。

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 「女奴隷ハガル」と、「律法の下にある者」つまり「霊的奴隷」を比喩的に結び付けるために、モーセが十戒を受け取った場所として「アラビアのシナイ山」を引き合いに出している。

 この「このハガルは、アラビヤにあるシナイ山のことで」という箇所は様々な解釈があるが、以下はその数例である。

(黒崎註解)

註解:パウロは21節以来種々の事実および思想を二つに分ちてこれを対立せしめ、以て律法と福音の区別を明らかにしている。すなわち自由なるサラと奴隷なるハガル、世嗣なるイサクと放逐せらるるイシマエル、律法による旧き契約と恩恵による新しき契約、奴隷たる子を生むハガルと約束の子を生むサラ、律法を与えられたるシナイ山およびこれを継承している今のエルサレムと約束を実現すべき上なるエルサレム等々であり、この対比はなお31節まで継続している。本節の意味は改訳に従えばハガルは奴隷たる子を生み、その子孫はアラビヤ人となった点において、人を奴隷たらしむる律法を与えられしシナイ山に相当し、かつ今のエルサレムに相当する。その故はイスラエルの人々は今も律法の下に(かつローマの政府に、B1)奴隷となりエルサレムがその代表的中心であるからである。ただし本節は「このハガル〔なる語〕はアラビヤ〔語〕にてシナイ山を意味し云々」と読み、アラビヤ人がシナイ山をやや類似の発音Hadschar(Chadschar)にて呼ぶ事実をもって証明せんとし(M0、A1)、または「ハガル」なる文字なき異本によりて「そはこのシナイ山はアラビヤにありて今のエルサレムに当り云々」と読むべしとの説を為す学者がある(Z0)。この読み方が最良であろう。

(マッカーサー)

ハガルはその息子イシュマエルを通して、その子孫がその地方に住みついたことによってシナイ山とつながっている。

 実際、聖書にはそのような解釈を許すような記述がある。

創世記25:12-18

12 これはサラの女奴隷エジプト人ハガルがアブラハムに産んだアブラハムの子イシュマエルの歴史である。 

13 すなわちイシュマエルの子の名は、その生まれた順の名によれば、イシュマエルの長子ネバヨテ、ケダル、アデベエル、ミブサム、 

14 ミシュマ、ドマ、マサ、 

15 ハダデ、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマである。

16 これらがイシュマエルの子孫で、それらは彼らの村落と宿営につけられた名であって、十二人の、それぞれの氏族の長である。 

17 以上はイシュマエルの生涯で、百三十七年であった。彼は息絶えて死に、その民に加えられた。 

18 イシュマエルの子孫は、ハビラから、エジプトに近い、アシュルへの道にあるシュルにわたって、住みつき、それぞれ自分のすべての兄弟たちに敵対して住んだ。 

 18節の「ハビラ」はアラビア半島の北西部,あるいはアラビア半島全域を示していたと言われているので、シナイ半島とアラビア半島を含めた広域にあたることになる。

 また聖書には「ハガル人」という名の部族に関する記述もある(詩篇83:6;歴上5:10;19-20)。

 いずれにせよ、注目すべきは、使徒パウロが「このハガルは、アラビヤにあるシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります」として、「シナイ山」と「今のエルサレム」つまり「地上の都エルサレム」と霊的に同類と見なし、さらにその二つの場所を、「上にあるエルサレム」と対比していることである。使徒パウロは地上的・物質的な観点によって「アラビアのシナイ山」と「今のエルサレム」を比較して、「今のエルサレム」の優越性について語っているのではないのである(パウロがこの書簡を書き送った時代は、まだエルサレムの神殿があり、そこでも神殿礼拝が行われていた)。

  それ故、この聖句が強調している点は、シナイ山の物理的位置ではなく、その「母体」としての霊的意味であり、キリストの贖いによって信じる者に与えられた霊的自由との絶対的なコントラストである。

「約束の地」と「神の山」

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創世記15:18

その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。 

民数記34:1-5

1 主はモーセに言われた、 

2 「イスラエルの人々に命じて言いなさい。あなたがたがカナンの地にはいるとき、あなたがたの嗣業となるべき地はカナンの地で、その全域は次のとおりである。

3 南の方はエドムに接するチンの荒野に始まり、南の境は、東は塩の海の端に始まる。 

4 その境はアクラビムの坂の南を巡ってチンに向かい、カデシ・バルネアの南に至り、ハザル・アダルに進み、アズモンに及ぶ。 

5 その境はまたアズモンから転じてエジプトの川に至り、海に及んで尽きる。 

ヨシュア15:1-4

1 ユダ族の諸氏族が、くじで割り当てられた地は、エドムの国境に至り、その南端は、南のほうのツィンの荒野であった。 

2 その南の境界線は、塩の海の端、南に面する入江から、 

3 アクラビムの坂の南に出て、ツィンに進み、カデシュ・バルネアの南から上って、ヘツロンに進み、さらにアダルに上って、カルカに回り、 

4 アツモンに進んで、エジプト川に出て、その境界線の終わりは海である。これが、あなたがたの南の境界線である。 

列王上8:65

ソロモンは、このとき、彼とともにいた全イスラエル、すなわち、レボ・ハマテからエジプト川に至るまでの大集団といっしょに、七日と七日、すなわち十四日間、私たちの神、主の前で祭りを行なった。 

イザヤ27:12

その日、主はユーフラテス川からエジプト川までの穀物の穂を打ち落とされる。イスラエルの子らよ。あなたがたは、ひとりひとり拾い上げられる。

  主なる神がアブラハムと結んだ契約においても、またモーセやヨシュア、ソロモン、イザヤなどに語った時にも、「約束の地」の南端の境界線は、常に「エジプト川」であった。勿論、これはエジプトのナイル川ではなく、添付した図の中の赤い矢印で示している「ワディ​・​エル​・​アリシュ」​のことである。

 ナイル川のように豊かな水が滔々と流れている川ではなく、おそらく雨期でなければ乾いた河川床でしかないような場所である。アブラハムの時代には十分な水量があったのかもしれないが、「約束の地」と「異邦人の地」を区切る境界線としては、どうも頼りないイメージではないだろうか。

  天地創造の神は全地の主として、イスラエルの民にせめて「ナイル川からユーフラテス川まで」の土地を約束することはできなかったのだろうか。そしてその広大な領地の内側に、「神の山」と「神の都」の「二つの聖なる場所」を設定することもできたはずである。否、むしろ「神の山」に「神の都」を造らせ、「地上で最も霊的で聖なる場所」とすることもできたはずである。

 しかし実際は、「神の山」を「約束の地」から三百キロ近く離れた荒野の、しかもエジプトで奴隷であったイスラエルの民がその「約束の地」に入る道程の「一つの通過点」として選ばれたのである。さらに驚くべきは、後世の人々が確信をもって場所を指定できないように定められた。

 そして「約束の地」の中の「神の都エルサレム」についてさえ、次のように語られた。

ヨハネ4:21-24

21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。 

22 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。 

23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」 

 それは信仰者の目がこの地上において何を慕い求め、またどう求めるべきかを明確に示していると言えないだろうか。

Ⅱコリント5:1

私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。 

コロサイ3:1-4

1 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。 

2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。

3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。 

4 私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。 

ピリピ3:20

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。 

へブル12:18-24

18 あなたがたは、手でさわれる山、燃える火、黒雲、暗やみ、あらし、

19 ラッパの響き、ことばのとどろきに近づいているのではありません。このとどろきは、これを聞いた者たちが、それ以上一言も加えてもらいたくないと願ったものです。 

20 彼らは、「たとい、獣でも、山に触れるものは石で打ち殺されなければならない。」というその命令に耐えることができなかったのです。 

21 また、その光景があまり恐ろしかったので、モーセは、「私は恐れて、震える。」と言いました。 

22 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。 

23 また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、 

24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。 

へブル13:14

私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。  

Ⅱペテロ3:13

しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。 

シナイ山の位置に関する記事の紹介

 エジプトの奴隷状態から解放されたイスラエルの民が、モーセを通して神の律法を受け取った場所が、シナイ半島ではなく、アカバ湾の東側の地であったという、非常に興味深い主張。

 イスラエルの民が渡ったとするアカバ湾の海底にあるエジプト軍の車輪の写真など、かなり衝撃的であるが、地理座標や深度などの学術的調査データによる裏付けが必要だろう。

 WEB上では同じような主張をしている英語サイトが無数にあるが、どれも情報源はワイアット氏のもののようである。

 

 以下のサイトは上述の意見の反証記事の一例。 

 ただこの記事においても、反駁すべき点が何点かある。例えば、「間違った前提 その3」の箇所で、以下の聖句を基に検証している。

ガラテヤ4:25

このハガルは、アラビヤにあるシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、彼女はその子どもたちとともに奴隷だからです。 

  旧約聖書のギリシャ語訳がエジプトのゴシェンのことを「アラビアのゴシェン」(創世記45:10;46:34)と訳していたり、紀元前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスがナイル川の東を「アラビア」と呼んでいる文献などを引用し、現在のシナイ半島がアラビアと呼ばれていたこと立証しているが、それならば紀元前168年ー紀元106年に存在したナバテア王国の領域についても考慮する必要があるだろう。

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 それはちょうど使徒教会時代とも重なる時代をもち、実際に新約聖書にはナバテア王国のアレタス四世(紀元前9年ー紀元40年)に関する言及もある。

Ⅱコリント11:32-33

32 ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕えるためにダマスコ人の町を監視したことがあったが、 

33 その時わたしは窓から町の城壁づたいに、かごでつり降ろされて、彼の手からのがれた。

 以下は、ウィキペディアのナバテア王国の日本語ページにある記述を一部引用したものである。

紀元前9年から紀元後39年にかけてのアレタス4世の時代にはその領土をダマスカスからヒジャーズ地方までの砂漠周辺部とネゲブ地方まで広げ、メソポタミア、南アラビアから地中海にいたるほぼ全ての隊商路を掌握した。アレタス4世の娘はヘロデ朝の君主であったヘロデ・アンティパスに嫁いでいたが、ヘロデが娘と離縁してヘロデヤと婚姻したことからユダヤに侵攻してヘロデ軍を打ち破っており、この事件はイエスの洗礼を行った洗礼者ヨハネの死の原因ともなっている。

また、新約聖書のコリントの信徒への手紙二にはアレタス4世がダマスカスにおいてパウロを捕縛しようと試みたことが記されており、ローマの市民権を有するパウロをローマの属国であったナバテア王国が捕縛しようとしたことから、ユダヤ人がナバテア王国において影響力を有していたと考えられている。

(ヒジャーズ地方とは、アラビア半島北西部の紅海沿岸地方)

 つまり使徒パウロが「アラビア」と書いた時、シナイ半島が含まれていた可能性は十分あるが、それはシナイ半島「だけ」を意味していたわけではなく、アカバ湾東側沿岸部を含めたアラビア半島の一部の領域も念頭にあったと考えるべきであろう。

 また使徒パウロとほぼ同時代の一世紀のユダヤ人著述家フラウィウス・ヨセフスは、シナイ山がミディアンの地にあり、「その地方で一番高い山である」と記述している(『ユダヤ古代誌』Ⅱ11.2-12.1参照)。ちなみにシナイ半島のシナイ山(2285m)は地域で一番標高の高い山ではなく、近くにあるカテリーナ山(2629m)の方が高い。そしてアカバ湾の東部地方、所謂「ミデアンの地」では、ヤベル・アル・ラワズ山(2580m)が一番高い。

 また上述の記事の「Eleven Days to Kadesh Barnea」には、申命記1:2「ホレブから、セイル山を経てカデシュ・バルネアに至るのには十一日かかる。」を引用して、「It would be impossible to march more than 2 million Israelites through the difficult terrain from Jebel el-Lawz to Kadesh Barnea in the allotted time. 200万人以上のイスラエル人が、割り当てられた時間内に、ヤベル・エル・ラワズからカデシ・バルネアまでの困難な地域を通って歩くのは不可能だろう。」と主張している。

 しかし地図を見れば確認できるが、ヤベル・エル・ラワズの裾野のアル・バドからアカバ湾北端のエイラトまで166KM(サウジアラビアとヨルダンの二国間の国境を超えるためか、徒歩による経路計算はできなかった)だが、シナイ半島のシナイ山から同じエイラトまでは191KMで、30KM近く距離が長いのである!

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 そしてエイラトからカデシ・バルネアまで直線的な近道で197KM、標高差1000mである。しかし聖書は「セイル山を経てカデシュ・バルネアに至る」とあるので、ヨルダン・バレー沿いのよりアップダウンが緩やかな道で遠回りしたと思われるが、それでも250KM弱である。

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 合計し約410KM。11で割ると、一日約37KM。私は「十一日かかる」という表現が、200万人以上の人間の移動を考慮した数字ではなく、「三日の道のり」(出エジプト8:27)のように、単純に大まかな距離を表現していると解釈するが、いずれにせよ、もしそれが不可能だと言うならば、シナイ半島のシナイ山からの道程の方がさらにその可能性は低いはずである。

  調べ始めると確認すべきことが無数に噴き出してきりがないので、とりあえず一旦中断し、検証が進み次第、随時追記という形で書き加えていこうと思う。

 

追記1(2018年4月15日)

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 この航空写真は、アカバ湾にはり出すようにあるヌエイバの砂浜を撮ったものである。涸れた川による渓谷Wadi Watirが、地帯における海への一本道となっていることがよくわかる。

 興味深いのは、以下の聖句において、パロから逃げるイスラエルの民に主なる神は「海の傍らに宿営しなさい」と命じたことで、それはパロにとっては「荒野に閉じ込められている」状態に思えた、という点である。

出エジプト14:1-3

1 主はモーセに言われた、 

2 「イスラエルの人々に告げ、引き返して、ミグドルと海との間にあるピハヒロテの前、バアルゼポンの前に宿営させなさい。あなたがたはそれにむかって、海のかたわらに宿営しなければならない。 

3 パロはイスラエルの人々について、『彼らはその地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった』と言うであろう。 

 ピハヒロテ【פִּי הַחִרֹת  pı̂y hachirôth】とは、「mouth of the gorges 渓谷の口」という意味をもつ。確かにヌエイバの砂浜から見れば、そこは「険しい渓谷の入り口」を成している。

 またミグドル【מִגְדֹּל    מִגְדּוֹל migdôl    migdôl】は「塔、やぐら」という意味で、砂浜の北側にあったエジプトの要塞のことを指しているのではないかと考えられている。

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 28KM²の広さならば、男子だけで約六十万人いたという群衆でも宿営できたのではないだろうか(想像するのは難しいが)。

出エジプト12:37-38

37 さて、イスラエルの人々はラメセスを出立してスコテに向かった。女と子供を除いて徒歩の男子は約六十万人であった。 

38 また多くの入り混じった群衆および羊、牛など非常に多くの家畜も彼らと共に上った。 

 前述のフラウィウス・ヨセフスは、「近づきがたい絶壁と海に囲まれた」「山が海に繋がっているところ」(『ユダヤ古代誌』Ⅱ324、325参照)と表現している。


THE EXODUS EXPLORED—Nuweiba Beach

 また列王記では、アカバ湾が「葦の海」と呼ばれているのも、注目すべき点である。

Ⅰ列王9:26

また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエラテに近いエツヨン・ゲベルに船団を設けた。

 地理的に考えて、民数記21:4の「葦の海」はエドムの地に隣接していたアカバ湾のことであろう。

民数記21:4

彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、 

『Israele e Italia - Uniti Verso La Radice』が引き起こしたスキャンダルに関して(追記)

 私個人はBDS運動(Boycott, Divestment and Sanctions movement)に参加する選択をしていない。例えば不買運動によってイスラエルのある企業が経営困難に陥ったとしたら、まず第一に被害を受けるのは被雇用者であり、その中にはイスラエル人だけではなく、低賃金で雇われているパレスチナ人や外国人労働者がいる可能性が大きいからである。そして多くの場合、社会的に弱い立場にいる人々には他の仕事が見つけられる可能性は低く、失業による貧困が暴力や犯罪、そしてテロリズムに繋がりうることも主張されていることである。

 これはあくまで私個人の見解であって、例えば同じ教会の兄弟姉妹が不買運動に参加したとしても、それがあくまで個人の選択であるならば、私にはそれを否定する権利は与えられていない。しかし地域教会の責任者である牧師が、教会代表という名目で公に不買運動に署名したり、逆に不買運動に反対する書類に署名するならば、その政治的な選択のゆえに、同じ教会に属しながらその選択に同意しない立場の人間の良心に、本人の望んでいない重荷を加えることになる。しかも同じ地域における、「同じ教派の集まり」という文脈がある場合、その影響は社会的でさえあり、また教義の領域まで浸透してくるからである。

 もし聖書が飲食に関してさえ他人を躓かせないためにデリケートな配慮を求めているのなら、このような複雑な政治問題が絡んだテーマに対しては、さらに慎重な行動が必要なのではないだろうか。

Ⅰコリント10:23-24;31-33(新改訳)

23 すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。 

24 だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。 

31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。 

32 ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。 

33 私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。

『Israele e Italia - Uniti Verso La Radice』が引き起こしたスキャンダルに関して

 去る2018年2月19日(月)にシチリア島の第二都市カターニアにおいて、「Israele e Italia - Uniti Verso La Radice」という一つのイベントが開催された。このイベントのタイトルは「根に向かって一つに」という意味であり、カターニアのいくつかの福音派地域教会の牧師らが、ユダヤのヘブロンの州政府要人(イタリア駐在ヘブロン大使・戦略局長と州義会代表)と共にペンテコステ教会を会場に集まった。

 イベントの主催者は、Son of Avraham Foundation である。

 このイベントが開催された直後から、イタリアの福音派グループにおいて激しい議論がインターネットを通して起きた。なぜなら、参加した福音派各教会を代表する牧師らが、ヘブロンの政府要人に対して一つの政治的・商業的誓約を交わしたからである。以下のビデオは、牧師らがその誓約書に署名しているものである(イタリア語であるが、映像を確認していただきたい。)


Catania: il patto massonico tra le Chiese Evangeliche ed Ebrei

 誓約書の内容は、パレルモで行われたもう一つのイベントに関するニュースが伝えている。Italians embrace South Hevron Hills - Israel National News

 要するに世界的に広まっているBDS運動(Boycott, Divestment and Sanctions movement)に反対する意を公的に誓約したということである。個人の良心に基づく選択というレベルの話ではない。主イエス・キリストの栄光を賛美するために召された地域教会を代表して、牧師らが何人も集まり、公に誓約書に署名したのである。

 しかしその一枚の紙以上に、多くの福音派信者を憤慨させ、悲しませたのは、そのイベント会場となった教会に設置されていた「Gesù Cristo è il Signore. (イエス・キリストは主である。)」という、信仰者の最も基本的で重要な信仰告白を書いた表示を、上述のイスラエル政府要人を「配慮して」撤去したことである。

GRAVE SCANDALO A CATANIA! La Chiesa Evangelica Pentecostale ha ubbidito agli Ebrei togliendo la scritta: «Gesù Cristo è il Signore»! | Chi ha orecchi da udire, oda

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 この撤去に関して、イベント会場の教会牧師(Ottavio Prato)が自発的に行ったことが、この記事で説明されている。公開されている彼自身の説明によると、当初はモットーをそのまま残すつもりだったが、祈りの中で、主イエスが使徒ペテロに啓示した大きな敷布の幻のエピソード(使徒行伝10:9-16 参照)を示し、「Togli la scritta! Io vivo nei cuori’.(書かれたモットーを取りなさい。私は心に生きている。)」と命じたから、ということである。

 使徒ペテロが見た幻は、ユダヤ人から「穢れている」と見做されていた異邦人にも主イエス・キリストの救いが備えられていることをペテロに示すためのものだったので、「イエス・キリストは主である」という信仰告白を取り除く選択とどう関係あるのか、個人的に全く理解できない。また聖霊が「私は心に生きている」と語ったというのなら、元々そのような表示は必要なかったことを意味し、何もこのようなスキャンダルを引き起こすようなデリケートな状況においてわざわざ撤去を命ずるのではなく、もっと前から「啓示」することもできたはずである。自分の言い訳のために、聖霊の導きを謳うのは不誠実ではないだろうか。そもそもそのような「愛に基づく配慮」をしたかったのなら、会場にホテルのイベントホールなどを借りるべきだっただろう。

 そして実際に参加した信徒の証言によると、二時間以上のイベントにおいて、御子イエス・キリストの名がただの一度も使われず、「神」という表現に慎重に言い換えられていた、とのことである。

 何年も前からこのような事態がイタリアにも起きることはわかっていたつもりだが、実際に起きるのを見ると、実に忌々しい思いになる。そして他のエキュメニカル運動で起きているのと同様、「釣り合わないくびきを共にする」ことによって、同じくびきを負うべきはずの兄弟姉妹同士が引き裂かれている。