「聖霊の働き」と「人間による吟味・検証」
使徒17:10-12
10 そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。
11 ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。
12 そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。
この有名なエピソードは、シリアのアンテオケ教会から遣わされて伝道していた使徒パウロとシラスが、ベレヤの町のユダヤ人会堂に通っていたユダヤ人たちに対して、初めて福音を語ったときのことである。
その地理的文脈から考えて、べレヤの会堂に通っていた人々はギリシャ語を話すヘレニストのユダヤ人であり、11節で言及されている「聖書(複数形)」も、ギリシャ語訳の旧約聖書であったと思われる。12節の多くの信仰者の中に「ギリシヤの貴婦人や男子」がいたと書かれていることが、ギリシャ語によるコミュニケーションを暗示している。
そしてこのエピソードにおける福音の告示から信仰に至るまでのプロセスは、とても重要なものである。
①使徒パウロとシラスによる福音の告示
②べレヤのユダヤ人たちによる受け入れ(「心から教えを受け入れ」)
③べレヤのユダヤ人たちによる、聖書を基にした検証(「果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。」)
④べレヤのユダヤ人たちの信仰(「そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。」 新改訳「そのため、彼らのうちの多くの者が信仰にはいった。」)
べレヤのユダヤ人たちの信仰が、前の三段階の「帰結」として表現されており、また特に③におけるべレヤの人々のある程度の時間の経過を伴う検証(「日々聖書を調べていた」)は、使徒たちによる一方的な押し付けや洗脳、もしくはその場の雰囲気に流された早急な決断といった種類のものではなく、福音を聞いた人々の主体的・理性的な行為であることが示されているのである。
勿論、この福音を聞いた人々の主体的・理性的な検証行為のうちに、神の聖霊の啓蒙や導きの働きが伴うことは、前提としてある。
ヨハネ14:26
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
ヨハネ16:13
けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
Ⅰコリント2:9-13
9 しかし、聖書に書いてあるとおり、/「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、/人の心に思い浮びもしなかったことを、/神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」/のである。
10 そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
11 いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。
12 ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。
13 この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。
主なる神が、ご自身の賜物としての恵みを人間が悟ることができるように、また霊のことを解釈することができるようにと、聖霊を遣わしてくださった。
この「聖霊の働き」と「人間側の主体的・理性的行為としての吟味・検証」という観点でみると、以下の聖句にも一貫した真理を見出すことができる。
Ⅰコリント5:19-22
19 御霊を消してはいけない。
20 預言を軽んじてはならない。
21 すべてのものを識別して、良いものを守り、
22 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
御霊に最大の信頼を置き、その働きを妨げずに身をゆだねることによって、「すべてのものを識別して、良いもの守り、あらゆる種類の悪から遠ざかる」ことができるのである。
ピリピ4:8-9
8 最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。
9 あなたがたが、わたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。そうすれば、平和の神が、あなたがたと共にいますであろう。
また信仰者としての人間による判断や評価に基づいた、
「すべて真実なこと」
「すべて尊ぶべきこと」
「すべて正しいこと」
「すべて純真なこと」
「すべて愛すべきこと」
「すべてほまれあること」
「徳といわれるもの」
「称賛に値するもの」
という、非常に「間口の広い」価値観に対して、「心に留める」という対応を勧めているのと同時に、使徒パウロから
「学んだこと」
「受けたこと」
「聞いたこと」
「見たこと」
つまり、より福音的・霊的な価値観に対しては、「実行しなさい」と、より強い勧告をしている。