an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『Israele e Italia - Uniti Verso La Radice』が引き起こしたスキャンダルに関して(追記)

 私個人はBDS運動(Boycott, Divestment and Sanctions movement)に参加する選択をしていない。例えば不買運動によってイスラエルのある企業が経営困難に陥ったとしたら、まず第一に被害を受けるのは被雇用者であり、その中にはイスラエル人だけではなく、低賃金で雇われているパレスチナ人や外国人労働者がいる可能性が大きいからである。そして多くの場合、社会的に弱い立場にいる人々には他の仕事が見つけられる可能性は低く、失業による貧困が暴力や犯罪、そしてテロリズムに繋がりうることも主張されていることである。

 これはあくまで私個人の見解であって、例えば同じ教会の兄弟姉妹が不買運動に参加したとしても、それがあくまで個人の選択であるならば、私にはそれを否定する権利は与えられていない。しかし地域教会の責任者である牧師が、教会代表という名目で公に不買運動に署名したり、逆に不買運動に反対する書類に署名するならば、その政治的な選択のゆえに、同じ教会に属しながらその選択に同意しない立場の人間の良心に、本人の望んでいない重荷を加えることになる。しかも同じ地域における、「同じ教派の集まり」という文脈がある場合、その影響は社会的でさえあり、また教義の領域まで浸透してくるからである。

 もし聖書が飲食に関してさえ他人を躓かせないためにデリケートな配慮を求めているのなら、このような複雑な政治問題が絡んだテーマに対しては、さらに慎重な行動が必要なのではないだろうか。

Ⅰコリント10:23-24;31-33(新改訳)

23 すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。 

24 だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。 

31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。 

32 ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。 

33 私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。