an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

御子イエス・キリストという名の充溢(5)

エペソ3:7-9

7 わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。 

8 すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、 

9 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。 

 「聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたし」と「キリストの無尽蔵の富」 の鋭い対比がある。

 使徒パウロが宣べ伝えていたのは、「聖徒たちのうちで誰よりも祝福され、霊的なわたし」ではなかった。また「聖徒たちのうちで最もひどい迫害にあったわたし」について不平不満を書き連ねていたわけでもなかった。

 彼は肥大化した自己でも、憐憫の念に囚われた自己でもなく、ただキリストだけを見ていたからこそ、その無尽蔵の霊的富が「神の力」として働きかけ、また「神の恵みの賜物」として彼の心に与えられていたのである。

 自分がどのような者か、またはどのような者でないか、何をしたか、何をしなかったか、何を持っていて、何を持っていないか。このような問いかけに囚われがちな私達の心を、聖霊は「キリストの無尽蔵の富」に目を向けるように導いて下さっている。