an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

調査のプロセス

申命記13:12-18

12 もし、あなたの神、主があなたに与えて住まわせる町の一つで、

13 よこしまな者たちが、あなたがたのうちから出て、「さあ、あなたがたの知らなかったほかの神々に仕えよう。」と言って、町の住民を迷わせたと聞いたなら、

14 あなたは、調べ、探り、よく問いたださなければならない。もし、そのような忌みきらうべきことがあなたがたのうちで行なわれたことが、事実で確かなら、

15 あなたは必ず、その町の住民を剣の刃で打たなければならない。その町とそこにいるすべての者、その家畜も、剣の刃で聖絶しなさい。

16 そのすべての略奪物を広場の中央に集め、その町と略奪物のすべてを、あなたの神、主への焼き尽くすいけにえとして、火で焼かなければならない。その町は永久に廃墟となり、再建されることはない。

17 この聖絶のものは何一つ自分のものにしてはならない。主が燃える怒りをおさめ、あなたにあわれみを施し、あなたをいつくしみ、あなたの先祖たちに誓ったとおり、あなたをふやすためである。

18 あなたは、必ずあなたの神、主の御声に聞き従い、私が、きょう、あなたに命じるすべての主の命令を守り、あなたの神、主が正しいと見られることを行なわなければならない。

申命記17:2-7

2 あなたの神、主があなたに与えようとしておられる町囲みのどれでも、その中で、男であれ、女であれ、あなたの神、主の目の前に悪を行ない、主の契約を破り、

3 行ってほかの神々に仕え、また、日や月や天の万象など、私が命じもしなかったものを拝む者があり、

4 それがあなたに告げられて、あなたが聞いたなら、あなたはよく調査しなさい。もし、そのことが事実で、確かであり、この忌みきらうべきことがイスラエルのうちに行なわれたのなら、

5 あなたは、この悪事を行なった男または女を町の広場に連れ出し、男でも女でも、彼らを石で打ちなさい。彼らは死ななければならない。

6 ふたりの証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなければならない。ひとりの証言で死刑にしてはならない。

7 死刑に処するには、まず証人たちが手を下し、ついで、民がみな、手を下さなければならない。こうしてあなたがたのうちから悪を除き去りなさい。

申命記19:15-21

15 どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。

16 もし、ある人に不正な証言をするために悪意のある証人が立ったときには、

17 相争うこの二組の者は、主の前に、その時の祭司たちとさばきつかさたちの前に立たなければならない。

18 さばきつかさたちはよく調べたうえで、その証人が偽りの証人であり、自分の同胞に対して偽りの証言をしていたのであれば、

19 あなたがたは、彼がその同胞にしようとたくらんでいたとおりに、彼になし、あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。

20 ほかの人々も聞いて恐れ、このような悪を、あなたがたのうちで再び行なわないであろう。

21 あわれみをかけてはならない。いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足。 

 当然、御子による恵みの福音を信じる者は、これらの律法の中に命じられている「聖絶」や「石打の刑」などが御子の十字架の死のうちに成就したことを知っているので、その裁きを字義的に適用すべきであるとは解釈しない。だから、これらの聖句において重要な適用は、何かしらの悪や罪などを耳にしたとき、それが事実であることを確証するプロセスである。

あなたは、調べ、探り、よく問いたださなければならない。

あなたはよく調査しなさい。

さばきつかさたちはよく調べたうえで

 つまり「噂話」や「多数の意見」を聞いた段階で判断を下してはならず、実際に自分で事実を確認しなければならないことを意味する。

出エジプト23:1-3;6-8

1 あなたは偽りのうわさを言いふらしてはならない。あなたは悪人と手を携えて、悪意のある証人になってはならない。

2 あなたは多数に従って悪をおこなってはならない。あなたは訴訟において、多数に従って片寄り、正義を曲げるような証言をしてはならない。

3 また貧しい人をその訴訟において、曲げてかばってはならない。

6 あなたは貧しい者の訴訟において、裁判を曲げてはならない。

7 あなたは偽り事に遠ざからなければならない。あなたは罪のない者と正しい者とを殺してはならない。わたしは悪人を義とすることはないからである。

8 あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は人の目をくらまし、正しい者の事件をも曲げさせるからである。

申命記16:19

あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたより見てはならない。また賄賂を取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらまし、正しい者の事件を曲げるからである。 

 よく考えると、ここには驚くべき前提が示されている。つまり主なる神は全て隠れたことを知っておられる方で、完全な公正さによって裁くことができ、私たち人間の部分的な知識による判断などを介する必要など全くない方であるにもかかわらず、その主なる神が、感情的であり、偏見に満ち、早とちりしがちな人間に対して、判断を委ねているのである。

 だからこそ「まずよく調べる」というプロセスが、判断そのものよりもより重要な意味をもつのである。なぜなら主なる神が聖霊を通して啓示することなど容易いはずだからである。

 私たち人間は、人の噂ですぐに断罪し、部分的でしかない経験や知識によって判断し、多数の意見と対立し孤立するのを恐れ、沈黙したり妥協したりする。貧しい者や低い者をその貧しさゆえに虐げると同時に、その同じ貧しさゆえに感情的に擁護したりもする。「他人の評価」という「賄賂」を掴まされ、迎合し、裁きを曲げたりもする。

 主なる神によって人間に課された「調査のプロセス」は、調査の対象だけの問題ではなく、調査をする者の心に中において「神への畏れ」を確認する目的としても与えられているのではないだろうか。

歴代誌下19:6-7

6 さばきつかさたちにこう言った。「あなたがたは自分のする事に注意しなさい。あなたがたがさばくのは、人のためではなく、主のためだからです。この方は、さばきが行なわれるとき、あなたがたとともにおられるのです。

7 今、主への恐れがあなたがたにあるように。忠実に行ないなさい。私たちの神、主には、不正も、えこひいきも、わいろを取ることもないからです。」