an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「今、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい」

ハガイ1:1-11

1 ダリヨス王の二年六月、その月の一日に、主の言葉が預言者ハガイによって、シャルテルの子、ユダの総督ゼルバベル、およびヨザダクの子、大祭司ヨシュアに臨んだ、

2  「万軍の主はこう言われる、この民は、主の家を再び建てる時は、まだこないと言っている」。

3 そこで、主の言葉はまた預言者ハガイに臨んだ、

4 「主の家はこのように荒れはてているのに、あなたがたは、みずから板で張った家に住んでいる時であろうか。

5 それで今、万軍の主はこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい。

6 あなたがたは多くまいても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているようなものである。

7 万軍の主はこう言われる、あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい。

8 山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる。

9 あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった。あなたがたが家に持ってきたとき、わたしはそれを吹き払った。これは何ゆえであるかと、万軍の主は言われる。これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている。

10 それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。

11 また、わたしは地にも、山にも、穀物にも、新しい酒にも、油にも、地に生じるものにも、人間にも、家畜にも、手で作るすべての作物にも、ひでりを呼び寄せた」。 

 七十年に及ぶバビロニア捕囚から約束の地に帰還したイスラエルの民は、荒れ果てた祖国の再建に失意して無気力な日々を過ごしていたわけではなかった。自ら木を伐り出し、家を建て、畑を耕し、多くの種を撒き、多くを望んで忙しく働いていたのである。だがそれは主なる神の目に最も優先的な事を先送りにし、「主の家を再び建てる時は、まだこない」と言って、自分たちの生活を復興する時に囚われていたのである。

 主なる神は二度も「あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい」と繰り返している。「あなたがたは主なる私が成し遂げることを待ちなさい」とは命じていない。なぜなら主なる神が山に登り、木を伐り出し、神殿を再建しなければいけなかったのではなく、それは民が為すべきことだったからである。

 勿論、主が望むなら荒れ果てた神殿においても神の栄光を現すこともできたはずである。なぜなら「いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない」からである。しかし主は民がおのおの自分の家のためだけでなく、まず何より神の栄光のために協力して働くことを求めておられたのである。

万軍の主はこう言われる、

この民は、主の家を再び建てる時は、まだこないと言っている。

、万軍の主はこう言われる、

あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい。

 実際、永遠の神とは異なり未来を知らない私たちは、ほとんど「神の時」を知らない。過去に戻って犯してしまった過ちを修正することもできない。与えられているのは「今」である。

マタイ5:21-24

21 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。

23 だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、

24 その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。

ヤコブ4:13-17

13 よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。

14 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。

15 むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。

16 ところが、あなたがたは誇り高ぶっている。このような高慢は、すべて悪である。

17 人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。 

 次の瞬間に全く不測の事態によって地上の命が終わりを遂げる可能性の中に生きる私たちが、「今」為すべき善とは何だろうか。そもそも私たちが考える「善」は、本当に主なる神が私たちに為すべきと命じている善であるのか、私たちはわかっているのだろうか。

エペソ5:15-17

15 そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、

16 今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。

17 だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。

Ⅰペテロ4:17-19

17  さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。

18 また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。

19 だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。

Ⅱコリント6:1-2

1 わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。

2 神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。

詩篇90:12

われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。