御子の啓示
ヴィーゼルの衝撃的なドキュメント『夜』は、十五歳の時、ナチにより家族と共にアウシュヴィッツ強制収容所に連行され、翌年ブッヒェンブァルトで奇跡的に解放されるまでの記録である。この地獄ともいうべき体験の中で、彼は母と妹そして最後に父を失った。
『夜』の中で、彼は収容所で起こった一つの事件、すなわちユダヤ人の大人二人と少年一人が処刑される場面を報告している。
三人の死刑囚は、一緒にそれぞれの椅子に上った。三人の首は同時に絞索の輪の中に入れられた。
「自由万歳」と、二人の大人は叫んだ。
子供はというと、黙っていた。
「神様はどこだ。どこにおられるのだ」。私のうしろでだれかがそう尋ねた。
収容所長の合図で三つの椅子が倒された。
全収容所内に絶対の沈黙。地平線には、太陽が沈みかけていた。
・・・・・・私たちは涙を流していた。・・・・・・
二人の大人はすぐに死んだ。子供は軽いので三十分あまりというもの、私たちの目前で臨終の苦しみを続けていた。・・・・・・
私のうしろで、さっきと同じ男が尋ねるのが聞こえた。
「いったい神はどこにおられるのだ」。
そして私は、私の心のなかで、ある声がその男にこう答えているのを感じた。
「どこだって。ここにおられるーーーーーー
ここに、この絞首台に吊るされておられる」。
『隠されたる神 苦難の意味』(山形謙二著 キリスト新聞社)より抜粋
ヴィーゼルが心の中で聞いた「声」。二千年前、カルバリーの丘の十字架の前にいた百卒長の心の中では、「叫び」のようであったのかもしれない。
マルコ15:39
イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、「まことに、この人は神の子であった」。
最も呪われた忌々しい十字架刑をうんざりするほど見てきたはずの軍人の心は、十字架につけられ、民から見捨てられ、傷つけられ、罵られ、それでもなお静かに耐えるナザレのイエスのうちに「神」をみた。
イザヤ52:13-15
13 見よ、わがしもべは栄える。彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。
14 多くの人が彼に驚いたように――彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異なっていたからである――
15 彼は多くの国民を驚かす。王たちは彼のゆえに口をつむぐ。それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟るからだ。
53:1-12
1 だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
9 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。
10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。
(御子イエス・キリストが地上に生まれる七百年以上前の預言)
私たちは見るべきところを間違えていないだろうか。悲しみで心の目と耳が閉じてしまって、御子の啓示が見えなくなり、御子の祈りが聞こえなくなっていないだろうか。
ルカ22:45-46
45 祈を終えて立ちあがり、弟子たちのところへ行かれると、彼らが悲しみのはて寝入っているのをごらんになって
46 言われた、「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。