(フラサッシ鍾乳洞入口の前にそびえたつ岩山)
フラサッシ鍾乳洞が1971年に発見されたエピソードは、とても興味深い。Ronaldo Silvestriという一人の青年が、夏の日照りで乾燥し、むき出しになっていた岩肌に、自動車のハンドルぐらいの大きさの穴を見つけ、その穴から吹き出していた冷たい風を受け、直感的に自分の足の下に洞窟があるのを感じたのがきっかけだった。
そしてその青年は、1971年9月25日に洞穴学グループの仲間数人とその穴に戻り、人が入れるぐらいまで穴を拡げ、垂らしたロープで中に入った。
(1971年9月25日、最初に鍾乳洞に入った時の穴)
(イタリア語のサイトだが、フラサッシ鍾乳洞を最初に発見したグループの当事者の記録があり、大変興味深い。)
私はこのストーリーをガイドの方から聞きながら、いつもの習慣で、頭の中で霊的適用をしていた。
聖書は、主イエス・キリストを「救いの岩」として啓示している。罪びとは、罪の泥沼や滑り易い危険な道から、神の恵みによって救われ、決して揺るぐことのない「岩なる主イエス・キリスト」の上に立ち、永遠の滅びから救われたのである。
詩篇27:5
それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。
詩篇40:1-2聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌
1 わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。
2 主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて、わたしの足を岩の上におき、わたしの歩みをたしかにされた。
イザヤ26:4
とこしえに主に信頼せよ、主なる神はとこしえの岩だからである。
Ⅰコリント10:4
みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。
しかし救いを受け、神の子となった信仰者は、ただ「岩」の上で魂の救いを喜び、安心しているだけではない。否、信じる者の心に与えられた聖霊が、より御子のうちに示されている神の愛を知るように、「清涼な風」を吹いてくださるである。
その「風」は、私たちに「まだ貴方の知らない深遠な領域がある。求めなさい。探しなさい。そうすれば貴方がまだ見たこともない宝を見出すであろう。」と誘ってくださるのである。
エレミヤ33:3
わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。
コロサイ2:3;6-10a
3 キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている。
6 このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい。
7 また、彼に根ざし、彼にあって建てられ、そして教えられたように、信仰が確立されて、あふれるばかり感謝しなさい。
8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。
9 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、
10a そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。