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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

カライ派ユダヤ人について

 先日のアシュケナジ系ユダヤ人のルーツに関する記事について引き続き調べていたところ、非常に興味深いユダヤ人グループについて知ることができたので、紹介してみたいと思う。そのグループとは、カライ派(Karaite Judaism, Karaism, קְרָאִים)のことである。

 メソポタミアのバビロニアで、アナン・ベン・ダヴィド(Anan ben David  西暦715年ー795年)によって生れた派である。当時、ものすごい勢いで拡大していたイスラム教勢力が、メソポタミア地方も征服し、そのマホメッドの一神教に関するラディカルな教えと、他宗教(キリスト教やユダヤ教など)の堕落に関する批判は、バビロニアのユダヤ教徒にも少なからず影響を与えていた。

 それまでの様々なラビたちの教えをまとめ、5世紀頃に編集されたバビロニアの『タルムード』を偏重する霊性に縛られていた人々は、より根源的で本質的な霊性を求め、信仰の源である聖書に帰ろうと教えたアナン・ベン・ダヴィドに追随した。この霊性はある意味、キリスト教の歴史の中で何度も起きた「聖書回帰運動」と共通するものである。Karaiteはヘブライ語で「書物の人」という意味というのも、大変興味深い。

 カライ派の人々は、ユダヤ人にとっての聖書である旧約聖書以外の書、つまり『タルムード』や『カバラ』そして『ミツヴォット』など一切認めなかった。彼らは聖書が信仰者の在り方を規定するのに唯一で十分な書物であると信じ、ラビの解釈を通さなくても、個人の良心に基づいて解釈できるものと考えていた。

 そしてこのグループは宣教に対しても熱心で、アフリカの地中海沿岸地方や黒海沿岸まで宣教に行った。特にトルコ地方の人々に大いに受け入れられた。

 様々な意見があり、議論されている点ではあるが、研究者のみならず、現存するカライ派の人々自身の考えでは、彼らはトルコ地方に住み、トルコ語を話すようになったセム系ユダヤ人ではなく、ユダヤ教に改宗したトルコ人だということである。 

 実際、黒海の北岸クリミヤ半島に移住し、その後ウクライナやポーランド、リトアニアに移住していたカライ派の人々は、Martin Gilbert著『Jewish History Atlas』によると、1796年の記録では、当時すべてのユダヤ人に対して課されていた制限が、カライ派の人々に対しては免除されていたという記述がある。また第二次大戦中、ドイツがリトアニアを占領したとき、カライ派の人々をユダヤ人としてではなくトルコ人として分類し、強制収容所への連行を免れたというエピソードも、彼らのルーツを証明していると言える。

 しかしカライ派の人々は、そのような状況で自分たちの命だけを守ることはせず、カライ派に属さないユダヤ人を自分たちと同じ民族だと言ってかくまい、ナチスの魔の手から守り、逃亡の手助けをしたということである。これは、人種的には異なるにしても、自分たちがユダヤ人であるという自意識があったことを強烈に示している。

 逆に言うと、カライ派以外のアシュケナジ系ユダヤ人は、人種的にも「ユダヤ人」と見做されていたことを示している。ということは、少なくともナチスにとっての「ユダヤ性」とは、信仰上の問題ではなく、あくまで「人種的問題」だったということになる。アシュケナジ系ユダヤ人が、遺伝学上セム系ユダヤ人とは異なるという調査結果を知る時、それは実に理不尽で忌々しい話ではないだろうか(元々、人種差別にはいかなる合理的根拠も存在しないが・・・)。

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クリミア半島のチューフト・カレ(「ユダヤの要塞」という意味)のカライ派の墓地

 

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