an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「地上のアイデンティティー」と「キリストの栄光の似姿」

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Ⅰヨハネ3:2-3

2 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。

3 彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。 

 キリスト者は聖書の啓示によって、この肉体におけるアイデンティティーから「キリストの栄光の姿に似るもの」として変えられることを信じている。主イエス・キリストが顕れ、その真の御姿を「顔と顔とを合わせて」見る時、キリスト者は自分たちも彼に似るものとなるのである。

コロサイ3:1-4

1 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。

2 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。

3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。 

4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。 

 それはキリストの来臨の前に地上の生を終えている信仰者にとっては「死後の復活」として起こり、来臨の時まで生き残っている信仰者にはそれは一瞬の出来事となる。

Ⅰテサロニケ4:14-17

14 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。

15 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。

16 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、

17 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。 

Ⅰコリント15:42-53

42 死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、

43 卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、

44 肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。

45 聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。

46 最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。

47 第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。

48 この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのである。

49 すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。

50 兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。

51 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。

52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。

53 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。

 しかし「キリストの栄光の姿に似るもの」が、「霊の体」「天に属している形」「朽ちないもの」 であるとは何となく理解できても、実際にそれがどのような状態であるのか、私たちは全く知らないのである。流刑の島パトモスにおいて天上の栄光の啓示を見た老使徒ヨハネでさえも、「しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない」と告白している。

 使徒パウロもコリントの教会へ宛てて書いた手紙の中で、その「キリストの栄光の姿に似るもの」が、まるで青銅を磨いて鏡面としていた当時の鏡に映ったイメージのように、「おぼろげに」しか見えないことを告白している。

Ⅰコリント13:12

わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。 

 主なる神の永遠の計画が完成する時、御子に今は誰も知らない「新しい名」が与えられることが啓示されている。その時、御子イエス・キリストがその新しい名で呼ばれ、最後まで耐え忍び、信仰による勝利を得る者の上にその新しい名が書き記される、というのである。何という啓示だろうか!

黙示録2:17

耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。

黙示録3:12

勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。 

 どうかこの真理の光が、地上における自分のアイデンティティーやセルフイメージに囚われているすべての魂に真の自由を与え、さらに崇高な希望である御子を崇め続けることができますように。

エペソ3:20-21

20 どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、

21 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。