an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『ローマびとへの手紙』(27)神はユダヤ人だけの神ではなく、異邦人の神でもある。

ローマ3:28-31

28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。

29 それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。

30 まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。

31 すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。 

 私はこの箇所を日本語の口語訳聖書からそのまま引用している。全ての日本人が日本語で「 神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。」という真理の啓示を読むことができる。

 わざわざ日ユ同祖論を引っ張り出してきて、それを基に日本人に無意味な自尊心を植え付け、神の愛と救いの計画を語る必要などない。主なる神はユダヤ人だけの神ではなく、ユダヤ人以外の異邦人の神でもあり、その中には当然、日本人も含まれているのである。その唯一の神が、律法の行いにはよらず、血の繋がりや割礼の有無に関係なく、ただ御子イエス・キリストの十字架の死と復活に対するシンプルな信仰によって、日本民族の中からも信じる者を義とする、つまり罪を赦し、神の子とするという義と愛の約束しているのである。

 「割礼」は血統以上にユダヤ民族の決定的なアイデンティティーであったし、今も同様である。それは神との契約を象徴していた。

創世記17:9-14

9 神はまたアブラハムに言われた、「あなたと後の子孫とは共に代々わたしの契約を守らなければならない。あなたがたのうち

10 男子はみな割礼をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。

11 あなたがたは前の皮に割礼を受けなければならない。それがわたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなるであろう。

12 あなたがたのうちの男子はみな代々、家に生れた者も、また異邦人から銀で買い取った、あなたの子孫でない者も、生れて八日目に割礼を受けなければならない。

13 あなたの家に生れた者も、あなたが銀で買い取った者も必ず割礼を受けなければならない。こうしてわたしの契約はあなたがたの身にあって永遠の契約となるであろう。

14 割礼を受けない男子、すなわち前の皮を切らない者はわたしの契約を破るゆえ、その人は民のうちから断たれるであろう」。

 異邦人であっても、割礼を受ければ神聖な過ぎ越しの食事を加わることができたが(出エジプト12:48)、異邦人はしばしば「割礼を受けていない者」として侮蔑を込めて呼ばれていた(士師記14:3;15:18;エゼキエル28:10;31:18)。そのような文脈において、キリストの福音は「まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。」という、まさに革命的宣言しているのである。

 キリストに対する信仰が、唯一で、すべての人に対して普遍的な救いの鍵である。何と公平な神であろうか。キリストによる魂の救いには、選民意識も、人種の違いも、性別も、社会的地位の違いも、貧富の差も全く無意味である。

コロサイ3:11

そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。