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十字架体験(2)引きずり込まれ、堅固な足場を失う危険

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 十字架体験(1)を読んで、「私の十字架体験は深いものだから、大丈夫」とか「一度新生体験して救われたら、それを失うことはないから大丈夫」などと心の中で思った読者もいるかもしれない。勿論、個人の信仰経験を他人が量ったり、裁いたりすることは愚かなことである。だが使徒パウロは同じ手紙の中で、信仰者に働く偽善の誘惑を決して軽視してはならないことを警告している。

 その現実的な危険性を伝えるために、パウロは経験豊かな使徒ペテロと、海外宣教で生死を共にするような経験を共有した同労者バルナバの例を挙げている。

ガラテヤ2:11-14

11 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。

12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。

13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。

14 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。 

  ケパとは、十二使徒の一人であったペテロのアラム語名である。アンテオケの教会は、当初からユダヤ人以外の異邦人伝道に熱心で、非常に福音的かつ霊的な教会であった。バルナバはその教会の霊的成長に大きく貢献した器であった。そして彼は、あまりにも熱心な伝道者となった「元迫害者パウロ」をタルソから連れ戻し、アンテオケ教会の働きに導きいれていた。

使徒11:19-26

19 さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった。

20 ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、アンテオケに行ってからギリシヤ人にも呼びかけ、主イエスを宣べ伝えていた。

21 そして、主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった。

22 このうわさがエルサレムにある教会に伝わってきたので、教会はバルナバをアンテオケにつかわした。

23 彼は、そこに着いて、神のめぐみを見てよろこび、主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるようにと、みんなの者を励ました。

24 彼は聖霊と信仰とに満ちた立派な人であったからである。こうして主に加わる人々が、大ぜいになった。

25 そこでバルナバはサウロを捜しにタルソへ出かけて行き、

26 彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。 

 このように、十字架の言の力を個人的に体験し、福音に力強く生きていたバルナバ「までも」(「バルナバさえも」新共同訳)も「引きずり込む」(「ついにはバルナバまでが彼らの偽善にさらわれたからである。」塚本訳)ほど、その偽善の力は狡猾で力を持っていたのである。

 この「引きずりこむ」という表現は、海で泳いでいるとき、いつの間にか海流に流され、岸から遠く離れてしまうイメージである。さらにもっとネガティブなニュアンスとして、「誘惑する」「そそのかす」「堕落させる」という意味もある。つまり、「引きずりこむ」方は悪意的で、「引きずりこまれる」方は無意識で受動的ということである。

 興味深いことに、使徒ペテロが晩年に書いた手紙の中で、同じ動詞を使って読者を警告していることである。

Ⅱペテロ3:17-18

17 愛する者たちよ。それだから、あなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい。 

18 そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アァメン。  

 17節を各種の和訳聖書は以下のように訳している。

文語訳

されば愛する者よ、なんぢら預じめ之を知れば、愼みて無法の者の迷にさそはれて己が堅き心を失はず

 

新改訳

愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。

 

岩波

そういうわけで、愛する者たちよ、あなたがたは放埓な人々の迷いに一緒に引きずられて、自分の堅実さから転落してしまわないよう、あらかじめ弁(わきま)えて警戒していなさい。

 

新共同訳

それで、愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。

 

前田訳

しかし、親しい方々、あなた方は前からご存じのように、放縦の人々の惑わしに導かれて、自らの立場を失わぬよう気をつけてください。

 

塚本訳

愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。

 使徒ペテロやバルナバの例でわかるように、誰でも「いつの間にか海流に流され」、「足の届かぬ沖合で波にのまれうる」弱さを持っている。だからこそ、「実際に溺れかけた」ペテロの警句や、その非常事態に勇気と誠実な愛をもって立ち向かった使徒パウロの戒めを、私たちはより真摯に受け止めるべきだろう。

Ⅰコリント10:12

だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。 

ガラテヤ6:1-2

1 兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。

2 互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。 

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