期間限定、条件付きの恵み
南イタリアの友人から送られてきたチラシの映像。
以下書かれている内容である。
Il perdono d'Assisi
E' il perdono totale dei peccati e condono totale della pena dovuta ai peccati.
Si può ottenere per sé o per un defunto dal mezzogiorno del 1° Agosto alla mezzanotte del 2 Agosto di ogni anno.
E' una grazia specialissima da non perdere.
Condizioni per ottenere l'indulgenza plenaria:
- Visita ad una chiesa parrocchiale
- Confessione Sacramentale per essere in Grazia di Dio
- Partecipazione alla S. Messa e Comunione eucaristica
- Una preghiera secondo le intenzioni del Papa
- Disposizione d'animo che escluda ogni affetto al peccato anche veniale
アッシジの赦し
罪の完全な赦しと、罪による刑罰の完全な免除。
毎年8月1日正午から8月2日深夜まで、自分自身とひとりの死者のために得ることができる。
失ってはならない特別な恵み。
全贖宥(しょくゆう)を得るための条件
- 小教区の教会へ行く
- 神の恵みにいるため聖典礼の告解
- 聖ミサと聖体拝領に参加
- 教皇の意図に従ってひとつの祈りを捧げる
- 些細な罪であっても罪に対するあらゆる執着を取り除く心構えをもつ
これは別にアッシジのフランチェスコだけの教えではなく、16世紀のトリエント公会議で公式に決定され、20世紀の第二バチカン公会議でも継承された独自の教義に基づくものである。
しかしこの教えが、キリストの福音の最も重要な教えの一つである『信仰のみによる義認』、つまり「イエス・キリストが私たちのすべての罪のために十字架の上で死に、そして復活してくださったことを信じることによって、罪びとは宗教的・倫理的功徳がない状態で、罪の赦しが与えられる」という聖書の啓示に反するのである。
ローマ3:21-26
21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。
22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、
26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。
ガラテヤ2:16;21
16 人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。
21 わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。
エペソ2:8-9
8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
Ⅰヨハネ1:5-10
5 わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。
6 神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。
7 しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
8 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
10 もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。
この「イエス・キリストに対する信仰による義認」という、御子の尊き命の代価によって神が定めた罪の赦しの条件を、人間や宗教組織が期間限定したり、無意味な障害を間に立てたりして、勝手に変更したりすることは決してできないのである。