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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(33)神の時

創世記21:1-7

1 主は、さきに言われたようにサラを顧み、告げられたようにサラに行われた。

2 サラはみごもり、神がアブラハムに告げられた時になって、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。

3 アブラハムは生れた子、サラが産んだ男の子の名をイサクと名づけた。

4 アブラハムは神が命じられたように八日目にその子イサクに割礼を施した。

5 アブラハムはその子イサクが生れた時百歳であった。

6 そしてサラは言った、「神はわたしを笑わせてくださった。聞く者は皆わたしのことで笑うでしょう」。

7 また言った、「サラが子に乳を飲ませるだろうと、だれがアブラハムに言い得たであろう。それなのに、わたしは彼が年とってから、子を産んだ」。 

 アブラハムが百歳になった時、待望の跡取りイサクが生まれた。神の最初の約束の言葉を受けた時から、実に二十五年もの長い時間が過ぎていた。

創世記12:4-7

4 アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。

5 アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた。

6 アブラムはその地を通ってシケムの所、モレのテレビンの木のもとに着いた。そのころカナンびとがその地にいた。

7 時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。 

 このアブラハムの人生におけるイサクの誕生まで待たなければならなかった時間は、人類の歴史における神の御子の到来までの長い時間を予示している。蛇のかしらを踏み砕く「エバの子孫」の到来の約束(創世記3:15参照)からはじまり、紀元前八世紀の預言者イザヤの預言など数々の預言を通して、神は御子が人となり地上に来られることを約束しておられたが、非常に長い時間を経て、「神の時」にそれを実現されたのである。

ガラテヤ4:4

しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。 

 それは決して人間が計画し実現した「時」ではなく、あくまで「神の時」であった。人間の思いからすれば、「なぜ神はもっと早く御子を遣わさなかったのか」という疑問も出てくる。ちょうどアブラハムが神に何度も問い尋ねたように。

「もっと早くにイサクが生まれていれば、エジプトの奴隷の女ハガルによって生まれたイシマエルとの確執も存在しなかったかもしれなかったのに。」

 しかしこれらの問いや仮定条件は、神の永遠の知恵の前で意味を失う。なぜなら神の計画は完璧であり、善だからである。

伝道3:11

神のなされることは皆その時にかなって美しい。

神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。

それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。 

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