an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(31)弱さをも用いてくださる神

創世記20:1-18

1 アブラハムはそこからネゲブの地に移って、カデシとシュルの間に住んだ。彼がゲラルにとどまっていた時、

2 アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人をつかわしてサラを召し入れた。

3 ところが神は夜の夢にアビメレクに臨んで言われた、「あなたは召し入れたあの女のゆえに死なねばならない。彼女は夫のある身である」。

4 アビメレクはまだ彼女に近づいていなかったので言った、「主よ、あなたは正しい民でも殺されるのですか。

5 彼はわたしに、これはわたしの妹ですと言ったではありませんか。また彼女も自分で、彼はわたしの兄ですと言いました。わたしは心も清く、手もいさぎよく、このことをしました」。

6 神はまた夢で彼に言われた、「そうです、あなたが清い心をもってこのことをしたのを知っていたから、わたしもあなたを守って、わたしに対して罪を犯させず、彼女にふれることを許さなかったのです。

7 いま彼の妻を返しなさい。彼は預言者ですから、あなたのために祈って、命を保たせるでしょう。もし返さないなら、あなたも身内の者もみな必ず死ぬと知らなければなりません」。

8 そこでアビメレクは朝早く起き、しもべたちをことごとく召し集めて、これらの事をみな語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。

9 そしてアビメレクはアブラハムを召して言った、「あなたはわれわれに何をするのですか。あなたに対してわたしがどんな罪を犯したために、あなたはわたしとわたしの国とに、大きな罪を負わせるのですか。あなたはしてはならぬことをわたしにしたのです」。

10 アビメレクはまたアブラハムに言った、「あなたはなんと思って、この事をしたのですか」。

11 アブラハムは言った、「この所には神を恐れるということが、まったくないので、わたしの妻のゆえに人々がわたしを殺すと思ったからです。

12 また彼女はほんとうにわたしの妹なのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではありません。そして、わたしの妻になったのです。

13 神がわたしに父の家を離れて、行き巡らせた時、わたしは彼女に、あなたはわたしたちの行くさきざきでわたしを兄であると言ってください。これはあなたがわたしに施す恵みであると言いました」。

14 そこでアビメレクは羊、牛および男女の奴隷を取ってアブラハムに与え、その妻サラを彼に返した。

15 そしてアビメレクは言った、「わたしの地はあなたの前にあります。あなたの好きな所に住みなさい」。

16 またサラに言った、「わたしはあなたの兄に銀千シケルを与えました。これはあなたの身に起ったすべての事について、あなたに償いをするものです。こうしてすべての人にあなたは正しいと認められます」。

17 そこでアブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻および、はしためたちをいやされたので、彼らは子を産むようになった。

18 これは主がさきにアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの家のすべての者の胎を、かたく閉ざされたからである。 

 このエピソードも解釈の難しい箇所である。倫理的観点だけから見れば、アブラハムの虚偽(真実の一面を語ったが、もう一つの決定的な一面を隠すことによって、アビメレクからすれば虚偽でしかなかった。)によって、なぜ真実を知らなかったアビメレクが「死の宣告」と「一族の不妊化」という裁きを受けなければならなかったのか、理不尽に思えるだろう。しかも神はこの件に関してのアビレメレクの潔白性を知っておられた。反対に、アブラハムがサラのことを妹だと言ったのは、これが初めてでないことも知っておられた(創世記12:10-20参照)。

  • 「神を恐れるということが、まったくない」ゲラルという国で、神はサラの問題を通して、アビメレクに直接語りかけた。
  • アビメレクは神の声に聞き従い、サラをアブラハムに返した。
  • アビメレクは自分に対して罪を犯したアブラハムに祈ってもらうというところまで遜り、神の声に聞き従った。
  • アブラハムの祈りによって、アビメレク一族に癒しがもたらされた。
  • この癒しによって、アブラハムが神の預言者としてたてられていることが証明された。

 このエピソードにおける以上の点を考慮すると、神はたとえ不完全であっても御自身が選ばれた器であるアブラハムとサラを通して、真実の神を知らない不敬の民に、御自身の栄光の証しをしようとされたのではないだろうか。

 これは恵みの下に生きる私達にも当てはまることである。新生した信仰者も未だに多くの弱さを持ち、罪や間違いを犯しうる存在である。キリストは救われるべきこの世の人々の間で、一人ひとりのクリスチャンが自らのアイデンティティー、「父なる神の子」であり、「キリストの花嫁」であり、「キリストの体」である教会に属する存在であることを、大胆に証しすることを望んでおられる。

 しかし多くの場合、まるで「日曜日だけ妻のふりをする女」「枡の下に置かれた灯り」「塩味を失った塩」のようであり、この社会で神を信じないで生きている「アビメレク」から、「あなたはしてはならぬことをわたしにしたのです」「あなたはなんと思って、この事をしたのですか」と罪を指摘される場合も少なくない。

 そのような弱さを持った器を、神は忍耐深く造り変え、憐れみによって御自身の栄光の証しのために用いてくださる。一人でも多くの魂が、永遠の救いを受けることができるためである。

Ⅰコリント1:26-31

26 兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。

27 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、

28 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。

29 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。

30 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。

31 それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。

Ⅱコリント4:5-7

5 しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝える。わたしたち自身は、ただイエスのために働くあなたがたの僕にすぎない。

6 「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。

7 しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。