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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

真っ直ぐな道を歩む


どこかに泉が湧くように 「福音の真理に向かってまっすぐ歩む」(ガラテヤ2:14:ディボーショナルノート)

 使徒パウロは、同じユダヤ人の使徒ペテロが「福音の真理に向かってまっしぐらに歩んでいない」のを見、そして宣教のパートナーであったバルナバまでその偽善に引き込まれている深刻な事態に対して、使徒ペテロを衆人の面前でたしなめる、という強い態度で対処した。ペテロやバルナバなど、聖霊の力強い働きを誰よりも経験して知っていた指導者を「真っ直ぐな道」から引き離すことができる程の強烈な偽善の力に対して、そのような厳しい対処しか有り得なかったのだろう。

 彼らが生きていた時代には、まだ地上にはエルサレムの神殿があり、そこでは律法に従ってレビ族の祭司たちが神殿儀式を執り行っていたから、キリストを信じたユダヤ人にとっては偽善への誘惑は激しかったことだろう。ましてや、キリスト者はシナゴーグから追放され、財産を没収されたり、厳しい迫害を受けていたから、その誘惑はさらに厳しいものだったはずである。

 同じ時代に生き、試練と誘惑の中にあって揺さぶられていたユダヤ人キリスト者に対して、『へブル人への手紙』は書き送られた。その中心的テーマである「大祭司イエス・キリスト」が、地上の神殿におけるレビ族祭司より如何に優れているかを、旧約聖書を基に明確に解説している書である。当時エルサレムで機能していたレビ族祭司による神殿祭儀とは全く異なる、メルキセデクの位の大祭司キリストによる、天の神殿であるキリストの体のうちの真の礼拝について詳細に啓示している。

 「食物の規定を守るべきか」「安息日を守るべきか」などについて疑問をもっている方は、一度自分で聖書を開き、『へブル人への手紙』を読んでいただきたい。そして律法の全てを成就したイエス・キリストの絶大な恵みの中に生きるということが、如何に平安と安息といのちに満ち満ちているかを、是非祈り求めていただきたい。

 

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