生けるキリストを求めて(18)契約のしるし
創世記6:17
17 わたしは地の上に洪水を送って、命の息のある肉なるものを、みな天の下から滅ぼし去る。地にあるものは、みな死に絶えるであろう。
18 ただし、わたしはあなたと契約を結ぼう。あなたは子らと、妻と、子らの妻たちと共に箱舟にはいりなさい。
創世記9:8-17
8 神はノアおよび共にいる子らに言われた、
9 「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。
10 またあなたがたと共にいるすべての生き物、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれと契約を立てよう。
11 わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。
12 さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。
13 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。
14 わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。
15 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。
16 にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。
17 そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。
主なる神は、ノアと彼の家族に箱舟による救いの契約を結んだ。もし御言葉を信じ、それにしたがって箱舟を造り、そこに入るのなら、大洪水による裁きからあなたとあなたの家族を必ず守る、という契約である。もしノアが箱舟を造らなかったら、彼はこの神の契約の恩恵に与ることはなく、他の人々と共に裁かれていたはずである。
そして実際に信仰によって大洪水から救われたノアと彼の家族に対して、主なる神はもう一つの契約を啓示した。「雲の中の虹」というしるしを伴う神の永遠の契約である。この契約は「箱舟による救いの契約」の場合とは異なり、ノアがすべきことは主なる神が大空に置かれる「雲の中の虹」の意味を、自分達の子孫に宣べ伝えることだった。神はノアに「地上の人々に見えるように、雲の中に虹が顕れるようにしなさい」とは言われなかった。主なる神自身が「わたしは雲の中に、にじを置く」「わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる」と言われたからである。
主イエス・キリストにおいて、神は救いのしるしとして「御子の十字架の死と復活」を備えてくださった。その救いのしるしを信じ、悔い改めるものは誰でも救いを得ることができるためである。
マタイ12:38-41
38 そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。
39 すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。
40 すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。
41 ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。
時にクリスチャンは、まるで「全世界に見えるように、雲の中に虹を顕さなければいけない」とも言えるような尊大な使命感を持ってしまうことがある。しかし主なる神が救われた一人ひとりに命じていることは、新しい契約のしるしである「御子の十字架の死と復活」が何を意味しているか、それを未だ知らない人々に宣べ伝えていくことである。それは救いを実際に経験した者には、決して無理な命令でも難し過ぎる任務でもない。むしろ子供の時にみた雨上がりの虹のように、驚きと喜びに光り輝いているものである。
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