生けるキリストを求めて(12)神の慈愛と峻厳とを見よ。
創世記4:10-15
10 主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。
11 今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。
12 あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。
13 カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。
14 あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。
15 主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。
ここに罪の重大さを知り、峻厳な態度で叱責する神と、その罪を犯した張本人の命を守ろうとする慈悲深い神が、一人の神としてカインの前にいる。
人類初の殺人者のカインを殺す者が七倍の復讐を受ける程なら、神に喜ばれていたアベルを殺したカインは、どれほど恐ろしい報復を受けるにふさわしかっただろうか。
ここに人知の届かぬ領域で、人類の重荷を負う神がいる。それは他の何者も負うことができないものであった。そしてその重荷は御子の十字架の死によって頂点に達した。
酌量の余地が全くないはずの者を赦すために神自身が払った代価の大きさを、誰が理解できようか。ただキリストによって神に感謝するのみである。
Ⅰヨハネ3:1-3
1 わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。
2 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。
3 彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。
ローマ11:22a
神の慈愛と峻厳とを見よ。