an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

一方的な「正義」に隠された自己正当化

 所謂キリスト教文化とイスラム教文化の関係は千年をはるかに超えるもので、何回にもわたる十字軍遠征などの血生臭い戦争や征服、搾取の歴史をもつ複雑極まりないものである。互いに神の名によって大義を振りかざし、繰り返し血を流してきたことは紛れもない史実である。

 そのような苦い過去を持ちながら、キリストの教会は何をしてきただろうか。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」と命じたキリストの言葉に従って、隣り人の人格の理解に努め、神の知恵を求めながら、全人類の救いのために十字架の上で死んで下さったキリストの愛を何とか伝えようとしてきただろうか。それとも「真の神を知らない異教徒」として見下し、時に無視し、侮蔑し、悪魔呼ばわりしてきただろうか。

 大衆の意見が単純化したスローガンに感情的に反応する時は、警戒が必要だと思う。歴史は必ず繰り返す。しかしそれよりも恐ろしいと思うのは、神の愛と人間の罪深さの自覚を持っているはずのクリスチャンが、自己反省もなく、「言論の自由」などという表層的な主張で一方的な「正義」を振りかざし自己正当化していることである。