an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(8)御子はへびのかしらを砕いた

創世記3:14,15

14 主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。

15 わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。 

 15節「彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」は、キリストの十字架のわざを預言する箇所として知られている。蛇はこの文脈上「野の生き物のうちで、最も狡猾な生き物」(創世記3:1)で、主なる神に光の天使として造られ、神に反逆し堕落した霊的被造物サタンもしくは悪魔の、道具であり化身である。「女のすえ」とは、時が満ちて「女から生まれた」御子のことである(ガラテヤ4:4)。

 興味深いのは、神が「彼(女のすえ)はお前のすえのかしらを砕き、お前のすえは彼のかかとを砕くであろう」と言っていないことである。「御子は蛇のかしらを砕き、蛇は御子のかかとを砕くだろう」と言っているのである。

 実際、十字架の死において、主イエス・キリストは悪魔に憑りつかれた「何者か」のかしらを砕いたのではなく、悪魔自身の「かしらを砕き」つまり「悪魔の力」に打ち勝ったのである。しかしそれは苦難の代価を伴っていた。つまり十字架の死によって、キリストの「かかとは砕かれた(もしくは噛まれた)」のである。

ヨハネ16:11

さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。 

へブル2:14、15

14 このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、

15 死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。

 勿論、御子は悪魔のかしらを砕いたが、それは悪魔の存在がこの地上から消えてなくなったことを意味しているわけではない。また「かかとを噛まれながらも蛇のかしらを砕いた」のは、御子イエス・キリストであって私達人間ではない。これを書くのは、信仰者が誤った自己認識で自己欺瞞に陥らないためである。

 信仰者は、地上においてまだ時間と肉体の中に生きている。しかしもし一人の罪びとが、信仰によって悪魔の力に勝利されたキリストのうちに身を避けるならば、その罪びとはたとい彼自身は全く弱いものであっても、キリストにあって勝利と解放と守りと平安を享受するのである。

 使徒パウロはだからこそ、この創世記の預言を引用して、「神に対する従順」と「善に対する賢明さ」と「悪に対する純潔」を前提としたキリストの恵みによる勝利について、ローマの信徒を励ましたのであった。

ローマ16:19,20

19 あなたがたの従順は、すべての人々の耳に達しており、それをあなたがたのために喜んでいる。しかし、わたしの願うところは、あなたがたが善にさとく、悪には、うとくあってほしいことである。

20 平和の神は、サタンをすみやかにあなたがたの足の下に踏み砕くであろう。どうか、わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。

 さらに神が蛇に対して、「わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。」という時、私は神の主権と愛の配慮を思う。神は悪魔の誘惑にいとも簡単に堕ち、神の声よりも悪魔の声に聞き従ったエバとアダムに対して、「お前たちは蛇の言いなりになるとは情けない。蛇と好き勝手にやっていきなさい。」と突き放すこともできたろう。しかし主なる神の人間に対する思いと計画は全く違った。蛇を「呪い」と「卑しさ」の中に閉じ込め、人間との間に「恨み」「敵意」「対立」という「障壁」(「恨み」の原語は「壁、障壁」という意味から派生する)を置くことによって、蛇の人間に対する影響力を神の主権によって著しく制限したのである。これは神は本来、人間が悪魔と友好関係、否されに言えば隷属関係にあることを決して望んでおらず、それ故に潜在的敵対関係に置いたことを意味している。これは非常に重要な真理である。勿論、そこには「もし人間が神に従い、悪魔に心を許さなければ」という条件がある。

ヤコブ4:7

そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。

エペソ6:10-13

10 最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。

11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。

12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。

  これは個人的な選択肢を与えられている私たちが、神の審判のときにイエス・キリストによって「悪魔に属する者」として裁かれないためである。

Ⅰヨハネ3:7-12

7 子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行なう者は、キリストが正しくあられるのと同じように正しいのです。

8 罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。

9 だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。

10 そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行なわない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。

11 互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。

12 カインのようであってはいけません。彼は悪い者から出た者で、兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。自分の行ないは悪く、兄弟の行ないは正しかったからです。