an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(5)アダムの深い眠り

創世記1:27

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 

創世記2:18-25

18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

19 そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。

20 それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。

21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。

22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。

23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。

24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。

25 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。

 主なる神は、アダムにふさわしい助け手が動物や鳥ではありえないことを良く知っていた。しかしアダム自身が納得できるように、敢えて野のすべての獣と空のすべての鳥を彼に与えた。そしてアダムが納得したのをみて、彼を深く眠らせ、眠った時にそのあばら骨の一つを取り、その所を肉でふさぎ、そしてあばら骨でエバを造り、アダムの前に連れてこられた。

 無から有を生み出し、土の塵からアダムを創造した神は、なぜこのような「面倒な」プロセスでエバを造ったのだろうか。アダムの足元の土の塊に命を与えることもできたはずである。

 このアダムの深い眠りは、キリストの死を予表したもので、その死そして復活を通してキリストの花嫁である「教会」が造られることを預言していたものである。

 実際、新約聖書は教会がキリストの体であると教えている。

エペソ5:30-31

30 わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。

31 「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。

32 この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。

 アダムが自分の欲しいままに自分に合った助け手を生み出したのではなく、アダムが深い眠りについている間に、主なる神がアダムの体の一部を取り出し、アダムのためにエバを備えたのである。

 これはまた御子キリストの「自己犠牲による愛の霊」を見事の啓示している箇所である。