an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

クレニオの人口調査とキリストの生誕についての省察(2)そこに命が

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ルカ2:1-7

1 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。

2 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。

3 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。

4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

5 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。

6 ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、

7 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。 

  クレニオの人口調査とキリストの生誕についての省察(1) - an east windowにおいて、二つの問題点を挙げた。

  1. 「皇帝アウグストの勅令によるローマ帝国全域の人口調査」は、ローマ市民権を持つ人々が対象であった。それ故、市民権を持っていなかったユダヤ人のヨセフはこの人口調査の対象ではなかった。
  2. 「クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査」は、ローマ帝国全域の人口調査とは異なりユダヤ人が対象であったが、フラウィウス・ヨセフスによれば、人口調査が実施されたのは西暦6年で、ヘロデ大王が死んでから10年近く経っていた。

 アプローチを変えて考えれば、福音書の記述に矛盾が生じないケースとは以下の通りである。

  1. ヨセフが登録した人口調査は、少なくともヘロデ大王が死んだ紀元前4年よりも前の時期に実施されていなければならない。
  2. ローマ市民権保有者を対象とした全国領域のものではなく、ユダヤという属国を対象にしたものでなければならい。

 残念ながら、これらの条件を満たす人口調査の歴史的記録は、今の所見つかっていない。 

 もう一つ新約聖書の中にヒントとなる記述がある。

使徒5:34-37

34 ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、

35 一同にむかって言った、「イスラエルの諸君、あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。

36 先ごろ、チゥダが起って、自分を何か偉い者のように言いふらしたため、彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。

37 そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。

 37節「人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起した」とあるが、これに関しては歴史的資料が残っている。前述のフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』には、以下のような記述がある。

 ローマからの課税に反対したガリラヤ人ユダ
 『最初憤慨したけれども、ユダヤ人はボエススの息子で大祭司のヨオアザルに説教されて、更に課税に反対することを差し控え、おとなしく彼らの財産の状態を説明した。しかしがマラの町出身、ガウラニテ人ユダという男とパリサイ人ザドクは、反乱を扇動しようとして懸命であった。二人は、この査定は奴隷制度の直接の導入にすぎないと言って、国民にその自由を主張するようすすめた。……
 人々は喜んで彼らに傾聴した。そしてこの大胆な試みは最高頂に達した。この二人からあらゆる種類の不幸が生じた。国民は彼らによって信じがたいほどの悪影響を受けた。次から次へと狼籍が行われ、われわれはかつてわれわれの苦悩を軽減してくれていた友人を失った。……ついには神殿そのものが敵の放火によって焼かれるほどに、党争が激しくなった。しがたって、先祖の習慣は変わった。……というのはユダとザドクはわれわれのなかに第四哲学の分派を始め、それは多くの追随者を獲得したが、われわれの国を度重なる騒乱で満たし、彼らの哲学の教え――それはかつてわれわれの間になかった教えである――によって将来の悲劇の基礎を作った。』

 要するに人口調査がローマ帝国の直轄領の成り下がってしまったユダヤからの徴税目的であったため、このガリラヤ人ユダは「ローマ人に税金を払う事を忍び、神のほかに死すべき人間を支配者として承認するのは、恥である」と主張し、人口調査が行われた西暦6年と次の年7年に反乱を起こした。その際、2千人近いユダヤ人が十字架に架けられ処刑された。そして西暦7年にはユダ自身も処刑された。この記録は、「クレニオがシリヤの総督であった時に行われた人口調査」と適合する。

 時系列上の問題は残るものの、この時代背景は非常に意味深い。人口調査は当時のユダヤ人にとって「無割礼者であるローマ人による支配」を意味し、屈辱的であり、民族的・宗教的大義を覚醒させるものでもあった。そしてエルサレムにおいて多くの血が流された。

 このような血生臭く騒々しい時代背景や、メシア運動の失敗による失望と怒り、ヘロデ王の残虐行為、そして現在に至るまでの解釈上の問題に関する果てしない議論などの要素を考慮すると、ある一つの事実が私の心を惹きつけ、一種の安堵感を与えてくれる。

彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。

 社会状況がどんなに悲惨でも、如何に怒りと反逆心と暴力と残酷と不安に満ちていても、また二千年後に生きる人間同士が神学的議論しようがしまいが、「一つの命」がこの世に生まれたという事実は、そこに静かに存在しているのである。そしてその「一つの命」は、旧約聖書によって預言されていた「神の子、救い主キリスト」の命だったのである。

 またこの事実は、この暴力と不安と残酷に満ちた社会に生きる私達の心のなかにも、「イエス・キリストの命」は静かに生まれ、たとい声高に語る知識や絶対的な答えを持ちあわせていなくとも、その「命」は「そこにある」ことができることを啓示している。