an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

彼らの喜びは失望に変わり、そしてイエスを信じるイスラエルは救われる。

マタイ26:59-61

59 さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするため、イエスに不利な偽証を求めようとしていた。

60 そこで多くの偽証者が出てきたが、証拠があがらなかった。しかし、最後にふたりの者が出てきて

61 言った、「この人は、わたしは神の宮を打ちこわし、三日の後に建てることができる、と言いました」。

 イエス・キリストを死刑にするために行われた偽証が、十字架の死と復活の後、使徒時代にも同じ内容でステパノやパウロにも繰り返された。

使徒6:8-14

8 さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。

9 すると、いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤからきた人々などが立って、ステパノと議論したが、

10 彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。

11 そこで、彼らは人々をそそのかして、「わたしたちは、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。

12 その上、民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し、彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。

13 それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。

14 『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。 

 使徒21:27-29

27 七日の期間が終ろうとしていた時、アジヤからきたユダヤ人たちが、宮の内でパウロを見かけて、群衆全体を煽動しはじめ、パウロに手をかけて叫び立てた、

28 「イスラエルの人々よ、加勢にきてくれ。この人は、いたるところで民と律法とこの場所にそむくことを、みんなに教えている。その上に、ギリシヤ人を宮の内に連れ込んで、この神聖な場所を汚したのだ」。

29 彼らは、前にエペソ人トロピモが、パウロと一緒に町を歩いていたのを見かけて、その人をパウロが宮の内に連れ込んだのだと思ったのである。 

 これらの偽証に共通しているのは、エルサレムの神殿に対する執着である。特にステパノとパウロに対するこれらの偽証が、ギリシャ語もしくはラテン語を話す領地出身のユダヤ人達(「リベルテン」とは、ローマの軍人ポンペイウスが紀元前63年にユダヤを征服したときに奴隷としてローマに連行され、その後自由の身になり、ローマで生活していたユダヤ人の子孫のことである。クレネ人とは現在のリビア出身の人々を意味し、アレキサンドリア人はエジプトから、キリキヤやアジアは今のトルコの事である。彼らは離散したユダヤ人の子孫であった。)から訴えられていたことは、大変興味深い。

 約束の地から離散したユダヤ人の子孫として、普段エルサレムから遠く離れて生活していた彼らは、特にエルサレムの神殿を理想化する傾向が、エルサレムに住んでいたユダヤ人よりも強かったのだろう。だからこそ、「ゲリジム山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」とサマリアの女に啓示したイエスの霊によって福音を説いていたステパノやパウロに、彼らは激しく怒って反対し、その執着は憎悪と殺意を生み出したのである。しかしそれは神の恵みをないがしろにするどころか、聖霊に逆らうものであった。

使徒7:48-51

48 しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、

49 『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。

50 これは皆わたしの手が造ったものではないか』。

51 ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。

 そして神が御子を通して予告していた通り、ユダヤ人たちが聖霊に逆らってまで執着していたエルサレムの神殿は、西暦70年にローマ軍司令官ティトゥスによって完全に破壊された。

 使徒時代から現在に至るまで少なからぬユダヤ人がイエスをメシアであると信じた反面、未だに多くのユダヤ人は聖霊に逆らい、頑なにイエスを否定し、救いを受けるに至っていない。むしろ終わりの時には過去よりもさらに、エルサレムの神殿再建とレビ族による神殿祭儀の復興に自らの希望を見出している。

 確かに大患難期には、新約聖書で預言されている通り、彼らの希望は実現するだろう。しかしその実現の喜びは束の間で、反キリストの顕現と共に失望、否、絶望に変わるだろう。

Ⅱテサロニケ2:3-8

3 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。

4 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。

5 わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。

6 そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。

7 不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。

8 その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。

 西暦七十年の破壊から二千年近く後に再建される念願の神殿において、反キリストが自ら神だと名乗って崇拝を強要することは、ユダヤ人の神殿や律法による義に対する熱狂的執着を踏みにじる行為となり、その失望は非常に大きいものとなるだろう。しかし、その決定的・最終的な失望を通して、今は頑なに否定している真のメシアを受け入れる契機が彼らに与えられるのである。

 自身ユダヤ人であり、自分の民の性質をよく理解していた使徒パウロは、「ユダヤ人はしるしを求める」と言った(Ⅰコリント1:22)。実際、大患難期にはこれ以上ない程の「しるし」、特にユダヤ人にとっては「試練のしるし」が顕現するだろう。神が、御子を信じるイスラエル人を救うことを願っているからである。

イザヤ1:27-28(新共同訳)

27 シオンは裁きをとおして贖われ/悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。

28 背く者と罪人は共に打ち砕かれ/主を捨てる者は断たれる。

ローマ9:1-8

1 わたしはキリストにあって真実を語る。偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって、わたしにこうあかしをしている。

2 すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある。

3 実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。

4 彼らはイスラエル人であって、子たる身分を授けられることも、栄光も、もろもろの契約も、律法を授けられることも、礼拝も、数々の約束も彼らのもの、

5 また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。

6 しかし、神の言が無効になったというわけではない。なぜなら、イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく、

7 また、アブラハムの子孫だからといって、その全部が子であるのではないからである。かえって「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」。

8 すなわち、肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである。

ローマ10:1-4

1 兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。

2 わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。

3 なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。

4 キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。 

 「アブラハムの子孫だから」「イスラエルは神の選民だから」という根拠によって彼らが救われるのではない。異邦人の救いの根拠と同様に、イエスを救い主として信じる者が救われるのである。

ローマ10:9-13

9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。

10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。

11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。

12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。

13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。