an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「見えない神のかたち」イエス・キリスト

Ⅰヨハネ1:1-4

1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――

2 このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである――

3 すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。

4 これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。  

コロサイ1:15

御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。 

  もし父なる神と共にいた「永遠の命」「命の言」が、「見えない神のかたち」として私達人間が認識できるよう顕れたという真理をより意識するならば、神を知るために人間的な想像力や表現力、理解力に頼ろうとはせず、ただひたすら神の啓示である聖書の言葉の前に遜って、「神よ、私の心に御子イエス・キリストを啓示してください」と祈る心が与えられるだろう。

ヨハネ14:8,9

8 ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。

 「わたしを見た者は、父を見たのである。」

 イエス・キリストのうちに全てがある。