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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ヤコブの妻レアの人生(4)子作り戦争

創世記29:31-35

31 主はレアがきらわれるのを見て、その胎を開かれたが、ラケルは、みごもらなかった。 

32 レアは、みごもって子を産み、名をルベンと名づけて、言った、「主がわたしの悩みを顧みられたから、今は夫もわたしを愛するだろう」。 

33 彼女はまた、みごもって子を産み、「主はわたしが嫌われるのをお聞きになって、わたしにこの子をも賜わった」と言って、名をシメオンと名づけた。 

34 彼女はまた、みごもって子を産み、「わたしは彼に三人の子を産んだから、こんどこそは夫もわたしに親しむだろう」と言って、名をレビと名づけた。 

35 彼女はまた、みごもって子を産み、「わたしは今、主をほめたたえる」と言って名をユダと名づけた。そこで彼女の、子を産むことはやんだ。 

創世記30:1-24

1 ラケルは自分がヤコブに子を産まないのを知った時、姉をねたんでヤコブに言った、「わたしに子どもをください。さもないと、わたしは死にます」。 

2 ヤコブはラケルに向かい怒って言った、「あなたの胎に子どもをやどらせないのは神です。わたしが神に代ることができようか」。 

3 ラケルは言った、「わたしのつかえめビルハがいます。彼女の所におはいりなさい。彼女が子を産んで、わたしのひざに置きます。そうすれば、わたしもまた彼女によって子を持つでしょう」。 

4 ラケルはつかえめビルハを彼に与えて、妻とさせたので、ヤコブは彼女の所にはいった。 

5 ビルハは、みごもってヤコブに子を産んだ。 

6 そこでラケルは、「神はわたしの訴えに答え、またわたしの声を聞いて、わたしに子を賜わった」と言って、名をダンと名づけた。 

7 ラケルのつかえめビルハはまた、みごもって第二の子をヤコブに産んだ。 

8 そこでラケルは、「わたしは激しい争いで、姉と争って勝った」と言って、名をナフタリと名づけた。 

9 さてレアは自分が子を産むことのやんだのを見たとき、つかえめジルパを取り、妻としてヤコブに与えた。 

10 レアのつかえめジルパはヤコブに子を産んだ。 

11 そこでレアは、「幸運がきた」と言って、名をガドと名づけた。 

12 レアのつかえめジルパは第二の子をヤコブに産んだ。 

13 そこでレアは、「わたしは、しあわせです。娘たちはわたしをしあわせな者と言うでしょう」と言って、名をアセルと名づけた。 

14 さてルベンは麦刈りの日に野に出て、野で恋なすびを見つけ、それを母レアのもとに持ってきた。ラケルはレアに言った、「あなたの子の恋なすびをどうぞわたしにください」。 

15 レアはラケルに言った、「あなたがわたしの夫を取ったのは小さな事でしょうか。その上、あなたはまたわたしの子の恋なすびをも取ろうとするのですか」。ラケルは言った、「それではあなたの子の恋なすびに換えて、今夜彼をあなたと共に寝させましょう」。 

16 夕方になって、ヤコブが野から帰ってきたので、レアは彼を出迎えて言った、「わたしの子の恋なすびをもって、わたしがあなたを雇ったのですから、あなたはわたしの所に、はいらなければなりません」。ヤコブはその夜レアと共に寝た。 

17 神はレアの願いを聞かれたので、彼女はみごもって五番目の子をヤコブに産んだ。 

18 そこでレアは、「わたしがつかえめを夫に与えたから、神がわたしにその価を賜わったのです」と言って、名をイッサカルと名づけた。 

19 レアはまた、みごもって六番目の子をヤコブに産んだ。 

20 そこでレアは、「神はわたしに良い賜物をたまわった。わたしは六人の子を夫に産んだから、今こそ彼はわたしと一緒に住むでしょう」と言って、その名をゼブルンと名づけた。 

21 その後、彼女はひとりの娘を産んで、名をデナと名づけた。 

22 次に神はラケルを心にとめられ、彼女の願いを聞き、その胎を開かれたので、 

23 彼女は、みごもって男の子を産み、「神はわたしの恥をすすいでくださった」と言って、 

24 名をヨセフと名づけ、「主がわたしに、なおひとりの子を加えられるように」と言った。  

 『子作り戦争』というサブタイトルをつけたが、実際は『レアとラケルによる夫の愛の争奪戦』とした方がより正確かもしれない。二人の姉妹であり妻である女たちの嫉妬と確執に、多くの小さな命と二人の女奴隷らが巻き込まれている、という様相である。しかし、このような夫婦間における感情的確執のなかにも、創造主なる神が命を与える存在として介入していることは、このエピソードの核をなす真理として忘れてはならないことである。ヤコブがラケルに言った言葉「あなたの胎に子どもをやどらせないのは神です。わたしが神に代ることができようか」が、そのことを的確に言い表している。

 この個所でレアは実に饒舌である。それぞれの出産に対して告白している彼女の言葉を読むと、彼女の心の動きがリアリティーをもって見えてくる。レアが生んだ子供の名前とレアの侍女ジルパに産ませた子供の名とその意味、そして彼女の言葉を列挙してみた。

  1. ルベン(子を見よ):「主がわたしの悩みを顧みられたから、今は夫もわたしを愛するだろう」
  2. シメオン(聞く):「主はわたしが嫌われるのをお聞きになって、わたしにこの子をも賜わった」
  3. レビ(連合する):「わたしは彼に三人の子を産んだから、こんどこそは夫もわたしに親しむだろう」
  4. ユダ(賛美):「わたしは今、主をほめたたえる」
  5. 侍女ジルパによるガド(幸運):「幸運がきた」 
  6. 侍女ジルパによるアセル(幸福):「わたしは、しあわせです。娘たちはわたしをしあわせな者と言うでしょう」
  7. イッサカル(報酬を与える):「わたしがつかえめを夫に与えたから、神がわたしにその価を賜わったのです」
  8. ゼブルン(共に住む):「神はわたしに良い賜物をたまわった。わたしは六人の子を夫に産んだから、今こそ彼はわたしと一緒に住むでしょう」
  9. ディナ(裁かれる)

 結局、レア自身は六人の男子と一人の女子を産み、彼女の侍女ジルパは二人の男子を産んだ。レアの一連の告白を読むと、自分より妹ラケルのことを愛し、そのラケルと同じ天幕で生活することを選んだ夫ヤコブの愛情を、何とか自分に向けさせようとしていることが痛々しい程伝わってくる。長子が生まれたことによって、「悩み苦しんだけれど、これで夫は私の事を愛してくれるだろう」と期待するが、実際には夫の心は変わらず、その不満を夫や周りの人のぶつけていたのだろう。もしかするとヤコブもそんなレアの態度にうんざりして、彼女に辛く当たっていたのかもしれない。二番目の子が生まれると、レアは「主はわたしが嫌われるのをお聞きになって、わたしにこの子をも賜わった」と言っている。それでも夫の愛を得ることができなかったレアは、三番目の子が生まれると、「こんどこそは夫もわたしに親しむだろう」と自分に言い聞かせている。しかし四番目の子の時、レアの心が主なる神を賛美する方向に根本的に変わる。そして彼女は子を産まなくなった。この記述は非常に意味深い。この段階でまるでレアの心が満たされ、それを見た主なる神は、天地創造の素晴らしさに満足して七日目に休まれたように、ここで一旦、子供を授けるのを中断するのである。

 しかし、ラケルが侍女ビルハに二人の子供を産ませたのを見て、妹を真似して自分の侍女ジルパを夫に与えた。既に四人の子供達を産んでいたレアには、このようなことをする必要はなかったはずである。むしろ、レアは感情的には納得できなかったけれど、ラケルがこのような手段を使ったから仕方なく侍女を夫に差し出した、というニュアンスが、「わたしがつかえめを夫に与えたから、神がわたしにその価を賜わったのです」という言葉を通して伝わってくる。

 そして六男のゼブルンが生まれた時、神を讃えながらも、「今こそ夫はわたしと一緒に住むでしょう」と自分に言い聞かせている。この言葉によって、ヤコブは相変わらずラケルと住んでいたが判る。ラケルに対して「あなたがわたしの夫を取ったのは小さな事でしょうか。」と強い言葉で告発しているのは、そのためである。

 この聖書の記述を読むと、神の恵みの賜物に対して賛美しつつも、愛する人の愛や周りの人の尊敬を望むように受けることができずに悩み、淡い期待に心を躍らせ、失望し、他人と比較して嫉妬に苛まれ、自己嫌悪に苦しみ、それでも神の前に心を注ぎだしていた一人の女性が浮かび上がってくる。

 そしてこのレアの姿は、同じ神を信じる人間としても、それほど私達の姿からかけ離れているものではないと思うのは、私だけだろうか。

 

(5)に続く