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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ヤコブの妻レアの人生(3)娘を「売った」父ラバン

創世記29:21-27

21 ヤコブはラバンに言った、「期日が満ちたから、わたしの妻を与えて、妻の所にはいらせてください」。 

22 そこでラバンはその所の人々をみな集めて、ふるまいを設けた。 

23 夕暮となったとき、娘レアをヤコブのもとに連れてきたので、ヤコブは彼女の所にはいった。 

24 ラバンはまた自分のつかえめジルパを娘レアにつかえめとして与えた。 

25 朝になって、見ると、それはレアであったので、ヤコブはラバンに言った、「あなたはどうしてこんな事をわたしにされたのですか。わたしはラケルのために働いたのではありませんか。どうしてあなたはわたしを欺いたのですか」。 

26 ラバンは言った、「妹を姉より先にとつがせる事はわれわれの国ではしません。 

27 まずこの娘のために一週間を過ごしなさい。そうすればあの娘もあなたにあげよう。あなたは、そのため更に七年わたしに仕えなければならない」。 

  ラバンはレアの結婚の件で婿ヤコブを見事に騙し、二人の娘たちを嫁がせることでヤコブを合計十四年間も無償労働に拘束することに成功した。ラバンとしては、してやったりとほくそえんでいたのかもしれないが、娘たちはこの父親の行為を決して忘れなかった。

 レアとラケルとの結婚から十三年後、ヤコブが神の導きによってラバンのところから逃亡しようとしたとき、彼女らはそのことをどう考えていたのかが記述されている。

創世記31:14,15

14 ラケルとレアは答えて言った、「わたしたちの父の家に、なおわたしたちの受くべき分、また嗣業がありましょうか。 

15 わたしたちは父に他人のように思われているではありませんか。彼はわたしたちを売ったばかりでなく、わたしたちのその金をさえ使い果たしたのです。 

 口語訳では「他人のように思われている」と訳されているが、新改訳では「よそ者と見なされている」となっている。実際、原語は「異邦人、姦通によって生まれた者」などの意味をもち、文脈においても彼女らは「自分たちを娘としてではなく、まるで市民権をもたない異邦人や奴隷のように扱い、自分の利益のために売った」というニュアンスで語っているのである。

 残念ながら現代でもまだ世界各地に残っている慣習だが、神からの賜物である子供をまるで自分の所有物であるかのように扱い、酷いケースでは収益をもたらす商品として、臓器を売ったり、売春を強要したりする。

 これはあくまで推測だが、ラバンが自分の二人の娘に動物の名前を使ったのは(レア「雌牛」とラケル「雌羊」)、実はこの父親の、娘たちに対する歪んだ考え方を暗示しているのかもしれない。このような考え方を考慮すると、ヤコブがまるで商品のように扱われていた二人の女性と結婚し、十二人の子供たちと無数の富を携えて、非情な父親であり不正な主人であったラバンから出て行ったのは、エジプトの奴隷状態から主なる神の僕モーセを通して解放されることになるイスラエルの民の予型であり、さらには、罪の奴隷として売られていた人類が、御子イエス・キリストの十字架の贖いによって解放されることの一つの予型であると言えるだろう。

 

(4)へ続く