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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

穏やかな生活を求めた男の波乱万丈な人生

創世記25:27、28

27 さてその子らは成長し、エサウは巧みな狩猟者となり、野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいた。

28 イサクは、しかの肉が好きだったので、エサウを愛したが、リベカはヤコブを愛した。 

  イサクの子ヤコブは、双子の兄エサウと異なり、穏やかな人で、天幕の中で過ごすことを好むような性格をしていた。現代的に言い換えれば、運動部に入って部活に明け暮れるタイプではなく、家に真っ直ぐ帰って本を読んだり、自分の好きな研究に没頭するタイプだったのではないだろうか。家事のために天幕にいつもいた母リベカの寵愛を受けていたのも理解できる。ヤコブ自身も、父親を騙すような母の無理な命令に従ったところからすると、父親よりも母親に対して心を開いていたと思われる。

 そのヤコブも、長子の権利を軽んじた兄エサウに逆恨みされ、両親の家から逃げるように出ていかなければいけなくなった。天幕の中で安定した静かな生活を愛していた青年は、たった一人で七百キロ近く離れたハランの地に旅立つことになる。途中のべテルで神の幻を見た時、彼は石を枕に野宿していた。

 そして母リベカの兄ラバンのもとに二十年間も留まることになる。しかも母の寵愛を受けて育ったヤコブが、叔父に騙され、嫁にもらったラバンの二人の娘たちのために十四年間厳しい労働を強いられ、その後六年間、現代だったらブラック企業大賞の受賞間違いなし、という環境で、ラバンの家畜のためにこき使われて過ごさなければならなかった。しかしその六年間で、ラバンが嫉妬するほど、ヤコブは所有する家畜を殖やしていった(創世記三十章には、この時期のヤコブの抜け目なさが記述されている。ラバンといい、リベカといい、このヤコブといい、まさしく「ルーツ」はここにあり、といった感じである。)

 その後、二十年以上前に兄エサウから逃げてカナンの地を離れたヤコブは、二人の妻と二人のそばめ、十一人の子供たち、そして無数の家畜らを引き連れて、今度は叔父ラバンから逃げるように生まれ故郷に戻ることになる。

 やっと戻った約束の土地で、安住を求めたのかもしれない。ヤコブはスコテに自分のために家を建て、家畜のためにも小屋を造った。シケムの町の前の土地をシケムの父ハモルの子から買い、そこに祭壇を建てた。

 しかし、その土地で大問題が起きる。娘のディナが、ハモルの子に誘拐され、強姦されてしまったのだ。自分らの妹が辱められたことに怒り狂ったヤコブの子シメオンとレビは、シケムの町の住民を騙し、虐殺し、町を略奪してしまう。安住を求めていたヤコブは、近辺の住民たちの復讐から身を守るため、べテルに移り住むことになる。そこからさらに南下し、ヘブロンのマムレに約三十年住むことなる。その土地で、今度は最愛の子ヨセフを失い(実際には、ヨセフは他の兄弟たちによって奴隷として売られ、エジプトの土地に連れて行かれていたが、父ヤコブはそれと知らずに、ヨセフが獣の襲われて死んでしまったと思い込んでいた。)、嘆きの老年期を過ごすことになる。

 しかしヤコブの人生はまだ終わっていなかった。神の計画によって十三年間の奴隷生活からエジプトのパロ王の次の位まで引き上げられていたヨセフは、全地を襲った七年の大飢饉を通して、父ヤコブを守るためにエジプトに呼び寄せた。ヤコブが百三十歳の時であった。

 ヤコブは家族共々エジプトに移住してから十七年間生き、百四十七歳で死んで、約束の地のマクペラのアブラハムやサラ、イサクの墓に埋葬された。

 これが、穏やかな性格で、天幕の中で静かに生活することを好んでいた男の、波乱万丈な人生の軌跡である。

 そんなヤコブが病の床でヨセフの子らを祝福する際に、簡潔な言葉で主なる神の恵みに栄光を帰しているのが、実に意味深い。

創世記48:15,16

15 そしてヨセフを祝福して言った、「わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、生れてからきょうまでわたしを養われた神、 

16 すべての災からわたしをあがなわれたみ使よ、この子供たちを祝福してください。またわが名と先祖アブラハムとイサクの名とが、彼らによって唱えられますように、また彼らが地の上にふえひろがりますように」。 

 

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