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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

蛇の入れ知恵

イマージング・チャーチ・ムーブメント : 村上 密 Blog

 聖書の教義を脇に置き、主観的な体験主義を強調する動きは、イタリアにおいても強烈な勢いで拡がっている。「教義は分離し、愛は一つにする」「誰も教義の詳細など求めていないし、間違った教えを語っても誰も気に留めやしない」「過去の形式は忘れて、新しい経験へ進もう」などの「入れ知恵」が、真理のみに仕えるべく選ばれたはずの者の口から公に出る時代になってしまった。

 しかし考えてみれば、使徒の時代から教会は、救いに割礼を強要していた律法主義者による偽善と同時に、キリストの肉体を実質的に否定していたグノーシス主義による放縦との、狡猾な両面攻撃を受けていたのである。終わりの時には、偽りのメシアニック系の偽善的教えと、聖書的根拠をもたない体験主義に対する妥協が、双方から教会を蝕んでいる。

 名前はその度々変化し、役者は異なるように見えるが、仮面の奥に潜む動機は、エデンの園で蛇を操ったものと全く変わらない。しかもその「邪悪な動機」はいつでも、私達を「より賢く」「より良く」「より霊的にする」のに相応しい「スマートな知恵」として顕れるものである。

 生きる神の言葉であるキリストの光によってのみ、その実態が暴かれるのである。

Ⅱヨハネ9-11

9 すべてキリストの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ。 

10 この教を持たずにあなたがたのところに来る者があれば、その人を家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない。 

11 そのような人にあいさつする者は、その悪い行いにあずかることになるからである。 

 

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