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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

蛇のように賢く、鳩のように純真であれ(3)

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マタイ10:16,17a(新共同訳)

16 「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。

17 人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。

 「蛇」と和訳されているヘブライ語は、נחש(naw-khawsh')で、「魔術を使う、占いをする、推測する」と言う意味の単語(naw-khash')と語幹が全く同じである。また申命記32:33で「マムシ」と和訳されている原語は、פּתן(pethen)で、「ひねる、捻じ曲げる」という言葉から派生する。

 一方、新約聖書のギリシャ語では「蛇」はophisで、「マムシ」と訳されているechidna(例 マタイ23:33)とは区別されている。

 「蛇」は、一般的に警戒心が強く、誤って近づきすぎなければ蛇の方から逃げていくと言われている。私は、イタリヤ中部ウンブリア州のペルージアで勉強していた時、週末に森の中を散歩していて蛇に出くわしたことがあった。2メートル程先でカサカサと音がして、何やら細いものが素早く逃げていくのを見て、私も同じくらいの勢いで、思わず反対側に飛び跳ねた。蛇もイタリアの静かな森の中で見慣れぬ東洋人を見て驚いたのかもしれないが。

 この蛇の警戒心の強さや逃げ足の早さは、確かに霊的な教訓があるだろう。

Ⅰテモテ6:9-11

9 富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。 

10 金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。 

11 しかし、神の人よ。あなたはこれらの事を避けなさい。そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。

Ⅱテモテ2:22

そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。  

  多くの誘惑は、真正面から抵抗して戦う方が逆に危険であることが多い。むしろ、「蛇のように」全てのセンサーを働かせて、危険を察知したら素早く逃げる方が安全なのである。サムソンはあまりに自分を過信して、誘惑の中に留まり続けたので、罪の縄目に縛られてしまった(士師記16章)。反対に、奴隷としてエジプトに売られてしまったヨセフは、主人の妻から誘惑を受けた時、それを拒否するだけでなく、同じところにいるのを避け、囚われそうになった時、上着を捨てて必死に逃げた。

創世記39:10-12

10 彼女は毎日ヨセフに言い寄ったけれども、ヨセフは聞きいれず、彼女と寝なかった。また共にいなかった。 

11 ある日ヨセフが務をするために家にはいった時、家の者がひとりもそこにいなかったので、 

12 彼女はヨセフの着物を捕えて、「わたしと寝なさい」と言った。ヨセフは着物を彼女の手に残して外にのがれ出た。 

  主イエスは「蛇のように賢く、鳩のように純真であれ」と言い、また「人々に警戒しなさい」と命じられた。確かに終わりの時には、より困難な時代が来ると聖書は預言している。環境破壊問題や経済破綻、戦争、などに目が留まり、それについて様々な議論がなされている。しかし、聖書は困難の本質が人間にあると明確に指摘しているのである。

Ⅱテモテ3:1-5

1 しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。 

2 その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、 

3 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、 

4 裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、 

5 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。 

 「こうした人々を避けなさい。」勿論、この警告は、不信感と猜疑心に生きよ、と言っているのではない。「鳩のように純真であれ」という命令と矛盾することになるからである。むしろ、より真実な心で全ての隣人と接するためには、悪の縄目から遠ざからなければ不可能なのである。

Ⅰテサロニケ5:21,22

21 すべてのものを識別して、良いものを守り、 

22 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。

  御子イエスは、罪汚れを知らず、完全に聖い方であるが、罪びとの友となってくださった。御自身、あらゆる誘惑と戦い、罪を見て見ぬ振りしたり、共感したりせず、全てを背負って十字架の上で裁かれた。信じる者には、聖霊によって御子と同じ霊が与えられている。

 

 

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