an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

古い城壁

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 自宅の近所に十三、十四世紀頃の城壁の一部が百メートルぐらい残っている。イタリアでは特別珍しいものではなく、実際近くを通り過ぎる人が立ち止まって観察していることはほとんどみかけない。しかしよく考えてみると、都市国家だったボローニャにとっては、敵国から身を守るためになくてはならない「命の盾」そのものだったのである。しかし、イタリアが統一国家となった時、この「命の盾」は機能性を失い、大部分は打ち壊され、残った部分は過去を証言するモニュメントになった。

 今や現代人の生活を脅かす「外からの脅威」は、隣の都市からの侵略とは全く異質なものである。むしろ様々な「外からの脅威」が、私達の生活圏内に深く入り込んでしまっている。それらの「脅威」から、自分の魂を守ってくれる真実の「命の盾」を人々は必要としている。

 しかしクリスチャンは、「モニュメント化した城壁」の上に立って、自分だけの「正統性」を片手に、自分の安全や祝福を確保していると思い込み、『私達がいる城壁の所にあなたがたも来てください。そうすれば安全ですよ』と宣教している「陳腐な存在」となっていないだろうか。

 イエス・キリストは宗教ではない。イエス・キリストは、ユダヤ教でもカトリックでも福音派でもペンテコステ派でもなく、「真の命」であり、キリストの十字架の死こそは信じる者の「真の命の盾」である。