律法学者、弟子、そして主人(3)使徒パウロの福音宣教
『律法学者、弟子、そして主人(2)新しいものと古いもの』において、『神の義』という最も重要な真理に関する「律法に基づく契約の中の啓示」と「恵みに基づく啓示」を、「天の御国の弟子となった学者」パウロが如何に的確に提示しているかに触れたが、その他にも「割礼の問題」に関する使徒パウロの解釈など、「新しいものと古いもの」という観点で考察すると有益な啓示は数々ある。別の機会に詳細に扱ってみたいと思う。
今回は使徒パウロが、モーセの律法の一文を霊的に適用している一つの例を考察してみよう。
Ⅰコリント9:3-10
3 わたしの批判者たちに対する弁明は、これである。
4 わたしたちには、飲み食いをする権利がないのか。
5 わたしたちには、ほかの使徒たちや主の兄弟たちやケパのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのか。
6 それとも、わたしとバルナバとだけには、労働をせずにいる権利がないのか。
7 いったい、自分で費用を出して軍隊に加わる者があろうか。ぶどう畑を作っていて、その実を食べない者があろうか。また、羊を飼っていて、その乳を飲まない者があろうか。
8 わたしは、人間の考えでこう言うのではない。律法もまた、そのように言っているではないか。
9 すなわち、モーセの律法に、「穀物をこなしている牛に、くつこをかけてはならない」と書いてある。神は、牛のことを心にかけておられるのだろうか。
10 それとも、もっぱら、わたしたちのために言っておられるのか。もちろん、それはわたしたちのためにしるされたのである。すなわち、耕す者は望みをもって耕し、穀物をこなす者は、その分け前をもらう望みをもってこなすのである。
ここでパウロは使徒としての一つの権利を擁護するために、律法の一節を引用している。
申命記25:4
脱穀をする牛にくつこを掛けてはならない。
パウロはこの一節の直接的意味を超えて、霊的な真意を提示している。「神は、牛のことを心にかけておられるのだろうか。それとも、もっぱら、わたしたちのために言っておられるのか。もちろん、それはわたしたちのためにしるされたのである。すなわち、耕す者は望みをもって耕し、穀物をこなす者は、その分け前をもらう望みをもってこなすのである。」
このように「天の御国の弟子となった学者」パウロは、聖霊の導きを通して、「一家の主人のように」霊的自由と神の僕としての責任をもって、キリストの福音を語っていたのである。
しかし「新しいものと古いもの」の取り扱いを全く理解していなかったユダヤ人たちは、そのような使徒パウロの福音宣教を絶えず妨害していた。
使徒18:1-13
1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。
2 そこで、アクラというポント生れのユダヤ人と、その妻プリスキラとに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるようにと、命令したため、彼らは近ごろイタリヤから出てきたのである。
3 パウロは彼らのところに行ったが、互に同業であったので、その家に住み込んで、一緒に仕事をした。天幕造りがその職業であった。
4 パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた。
5 シラスとテモテが、マケドニヤから下ってきてからは、パウロは御言を伝えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちに力強くあかしした。
6 しかし、彼らがこれに反抗してののしり続けたので、パウロは自分の上着を振りはらって、彼らに言った、「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ。わたしには責任がない。今からわたしは異邦人の方に行く」。
7 こう言って、彼はそこを去り、テテオ・ユストという神を敬う人の家に行った。その家は会堂と隣り合っていた。
8 会堂司クリスポは、その家族一同と共に主を信じた。また多くのコリント人も、パウロの話を聞いて信じ、ぞくぞくとバプテスマを受けた。
9 すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。
10 あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」。
11 パウロは一年六か月の間ここに腰をすえて、神の言を彼らの間に教えつづけた。
12 ところが、ガリオがアカヤの総督であった時、ユダヤ人たちは一緒になってパウロを襲い、彼を法廷にひっぱって行って訴えた、
13 「この人は、律法にそむいて神を拝むように、人々をそそのかしています」。
「この人は、律法にそむいて神を拝むように、人々をそそのかしています」。二千年近く経った現代においても、未だにこのような霊に捕らわれ、同じような主張している人がいるのは、本当に残念である。