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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

キリストが十字架にかけられた日(5)まとめ

 『キリストが十字架にかけられた日』というタイトルで、キリストが十字架の上で死んだ日はいつかという問題について私なりに検証し記事にしてみた。

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 多くの読者にとっては、非常に回りくどい内容かもしれない。ただ私自身、今回聖書を読み直してみて、イエス・キリストが十字架にかけられた日について共観福音書とヨハネによる福音書はそれぞれ明確に記述してあるにも関わらず、二つの記述の間に一日のズレがあるという事実は、私の中に不信感を生み出すどころか、逆に神の知恵に対するさらに深い信頼を生み出した。

 神は私達が「いつイエス・キリストが死んだか」を知る以上に、「イエス・キリストの死は一体どんな意味があるのか」「人類に何をもたらしたのか」「私に何をもたらすのか」について経験的に知ることを切に求めておられる。そのような意味で、神は私達が「根幹に関わる重要な部分」により集中することができるために、人間の好奇心にとって本質的だと思うことでさえ、「ピンボケ」のままであることを許しているのだと思う。矛盾や不完全として非難されるリスクを自ら負いながらも、である。それはまた、全知全能の神が肉体をもった一人の人となり、罪人からは全く理解されずに、全人類の罪を背負って死んで下さったイエス・キリストの福音にふさわしいのではないだろうか。

キリストが十字架にかけられた日(6)追記 - an east window