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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

イエス・キリストの警告

マタイ10:17

人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。 

マルコ13:9

あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう。 

ヨハネ16:2

人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。 

  これらの聖句は、いずれもイエス・キリストがユダヤ人の弟子達に迫害の危険を予め警告している言葉である。衆議所とは、ユダヤ人の会堂シナゴーグに付属した裁判所のようなもので、町ごとに七人の裁判官で構成され、律法の規則違反や異端の教えなどを裁いていた。つまり主イエスは、弟子たちがユダヤ教徒によって捕らわれて、裁判所に引き渡され、律法によって断罪され、会堂から異端者として追放され、挙句の果て「神の御名」によって殺される者も出てくるだろうと警告しているのである。しかもそのようなことを行うのは犯罪者や異教徒ではなく、イスラエルの神を信じ仕えていると告白するユダヤ教徒であるというのである。

 実際、使徒行伝を読むと、これらの主イエスの警告が現実となったことが数多く記録されている。勿論、弟子達は迫害されることを自ら求めていたわけではなかった。ただ主イエス・キリストに対する信仰を証ししていただけである。しかしその信仰そのものが、ユダヤ人の憎しみと迫害を引き起こしていたのである。現代的な表現を使うならば、キリストの救いを受け新生したメシアニック・ジュ―が、その信仰ゆえにユダヤ教徒から激しい迫害を受けていたということである。

 このイエス・キリストの警告を念頭に置き、現代の宗教的シオニズムとキリスト教徒、特に福音派の中の一部に見受けられるような密接な協力関係(根拠に欠ける従属関係?)を考慮するとき、強い違和感を覚えるのは私だけだろうか。

 この終わりの時に、神がイスラエルの民の間から多くの魂を救い出してくださっていることは、実に素晴らしいことである。私も個人的にそのような魂に出会う機会が何度かあったが、言い表し難い喜びがあることは事実である。しかし、全てのメシアニック・ジュ―と名乗る教師が、キリストの霊によって教えているわけではないこともまた事実である。

 メシアニック・ジュ―の信憑性は、言葉における教えの次元だけでなく、このようなユダヤ教との関係という視点においても十分検証されるべきである。

Ⅰヨハネ4:1

愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。

 「人々に注意しなさい」「あなたがたは自分で気をつけていなさい」主イエスの前では、周りの人に責任転嫁をすることは通用しない。気を付けなければいけないのは、私自身であり、あなた自身である。

 

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