an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

虚無の中に撒かれた一粒の麦

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ヨハネ12:20-25

20 祭で礼拝するために上ってきた人々のうちに、数人のギリシヤ人がいた。 

21 彼らはガリラヤのベツサイダ出であるピリポのところにきて、「君よ、イエスにお目にかかりたいのですが」と言って頼んだ。 

22 ピリポはアンデレのところに行ってそのことを話し、アンデレとピリポは、イエスのもとに行って伝えた。 

23 すると、イエスは答えて言われた、「人の子が栄光を受ける時がきた。 

24 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。 

25 自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。  

 誰も自ら希望して生まれてきたものはおらず、時代や国、家庭環境、性別、身体的条件を選択することはできなかった。気がついたらこの時間と世界の中に生まれていたのである。経済的に裕福な家庭に生まれ、何の問題もなく成長し、優れた教育を受け、やがて自分の仕事や社会的地位、家庭を持つようになる人もいれば、極貧の村に生まれ、学校教育どころか両親にも見捨てられ、身を売らなければならない環境に放りだされる子供たちもいる。しかしどちら場合も、自らそれぞれの環境を選んで生まれたきたわけではない。そしてまた、どのような幸福な人生を築こうとも、またどのようなどん底の人生を歩もうとも、やがて全ての人が全てを残して死んでいく。そのような「不毛な運命」のなかに全ての人がまるで「投げ込まれた」ように生まれ、自らの力ではそこから出ることもできずに、その「運命」に何か納得できる意味を見出すために必死にもがいて生きているのである。

 しかし、もし本当に私達の存在が灰となり、土と化すだけであったら、どんな意味があるのだろうか。実存主義の哲学者らは、その本質的な無意味さを誰よりも徹底的に考察し理解しながらも、「この人生の無意味に勇気をもって向き合うのが、人間のすべきことである」と主張し、自分たちの哲学によれば「人間の勇気すら無意味である」という冷酷な結論を完全に受け入れることができなかった。

 実際、無神論を主張する人は多いが、その主張がもたらす過酷な帰結を理解している人はほとんどいない。たといいたとしてもそれを受け入れて生きている人などいない。全ての価値観が相対的で、すべてが虚無に服するなら、無神論者が神の存在を信じる人に反論することすら自己矛盾でしかなく、自ら価値のないものと断定している概念に対して、これまた彼らにとって究極的には無価値の理性によって批判するという、無意味な営みである。究極には、実存主義者らが「唯一議論に値するテーマ」とした自殺という選択ですら、虚無の闇の中に消えていくしかないのだ。

 しかし、人間の知恵の罠によって虚無の中に投げ込まれ、閉じ込められている人類に、神は希望を与えてくださった。その希望は人間の知恵によって生み出されたものではなく、神の御子イエス・キリストによる。冒頭に引用したイエスの言葉の中で、彼は自分を「地に撒かれた一粒の麦」に喩えた。御子自身が神の永遠の栄光から、この虚無に服していた人間の世界の中へ「投げ込まれ」、全人類の罪と呪いを背負って父なる神からも見捨てられ、十字架の上で死なれたのである。まるで自分では身動きできない種のように、彼はその自分に与えられた身代わりの死に対して抵抗しなかった。そしてその「地に撒かれた一粒の麦」の死は、復活によって永遠の命という実を豊かに結んだ。イエス・キリストの復活を信じる者は、虚無の闇の牢獄から解放され、「命の意味」の光の中に住むことができるのだ。

コロサイ1:13-20

13 神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。 

14 わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。 

15 御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。 

16 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。 

17 彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。 

18 そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。 

19 神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、 

20 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。