an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

良い働きの始まり

パウロの信仰観 : 村上 密 Blog

 聖書の研究において一つ一つの言葉を厳密に研究するのは重要だが、それと同時に俯瞰的観点を失わないように気を付けなければならない。そういう意味で村上師の記事は有益だと思う。

 確かにもしパウロがバルナバの言うとおりにマルコを伝道旅行に同行させていたら、若き信仰者テモテに協力を呼び掛けなかったかもしれない。パウロとバルナバの意見が激しく対立し決別してしまった事自体は、ネガティブなことだが、主なる神はそれを善に変えてくださった。

 小アジアのテアテラ市出身の商人ルデヤを救うために、神はパウロをテアテラ市には遣わさないで、マケドニアのピリピ市に導き、彼女とその家族を救った。そして彼女の家を拠点にピリピ市の家の教会が生まれた。またその教会の誕生のもう一つの核となる一家族を救うために、神はパウロとシラスが鞭打たれ、足かせをつけられて、牢獄に入れられることを許された。

 パウロは後に、ピリピの教会に宛てた手紙の中にこう書き記している。

ピリピ1:5,6(新改訳)

5 あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。

6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。

  神はその「良い働き」を、人間的には理解に苦しむ、不合理な状況や導きを通して始められた。まさに「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」のだ(ローマ8:28)。御子の死を通して教会を生み出した方は、そのように私達に働きかけてくださる神である。