an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

三つの復活について

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Ⅰテサロニケ4:13-18

13 兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。 

14 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。 

15 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。 

16 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 

17 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。 

18 だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。 

Ⅰコリント15:51,52

51 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。 

52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。 

 主イエス・キリストが彼の救いを信じる人々を携挙するために来臨する時、「キリストにあって死んだ人々」、つまり来臨の時までに歴史の中で信仰者として死んでいった全ての信仰者が、栄光の体でまず最初に復活し、来臨の瞬間に生き残っている信仰者と共に「雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいる」ことになる。

 この携挙の際の復活は、黙示録に啓示されている「第一の復活」とは異なる。

黙示20:4-6

4 また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。 

5 (それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。 

6 この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。 

 この第一の復活でよみがえる人々は、「イエスのあかしをし、神の言を伝えたために首を切られた人々」「獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々」と限定されており、大患難期中にイエス・キリストを証しするために選ばれ、反キリストの迫害によって殉教する信徒のことで、おそらく十四万四千人のイスラエル人を中心とする人々のことを指しているのではないかと思う(黙示7:4-8;13:7、10;14:1-5 七章において地上にいるこれらの人々が、十四章では子羊の前に立ち、「地から購われた」者として呼ばれていることに注目)。

 個人的には、黙示20:4の「かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた」にある人々は、教会の携挙によって栄光の体に変えられ、御前に導かれていた信徒ではないかと解釈している(参照 黙示2:26,27;3:21 キリストの教会に属する勝利を得る者に与えられている約束の言葉。Ⅰコリント6:2,3 コリント教会の信徒に向けて語られた言葉)。この「裁きの権」が与えられた信徒は、「キリストの祭司」でもある。

黙示1:5,6

5 また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、 

6 わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。 

黙示5:9,10

9 彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、 

10 わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。 

黙示20:6

この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。 

 要するに、キリストの復活前に信仰を証しした人々と、キリストの贖いを受けた異邦人、そして大患難期に殉教した人々が、時期は異なるがそれぞれ復活し、キリストと共に千年王国を治める祭司となることになる。

 冒頭の二箇所にある「神のラッパ」「終わりのラッパ」についてだが、黙示録の八章から十一章に出てくる裁きと戦いのラッパ(参照:ゼパニヤ1:16;ゼカリヤ9:14)ではなく、神との出会いのための召集の合図(出エジプト19:16-19)であり、神の民の出発のための最後の合図(民数10:1-6)を表している。

出エジプト19:16-19

16 三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。 

17 モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山のふもとに立った。 

18 シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。 

19 ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、神は、かみなりをもって、彼に答えられた。

民数10:1-6

1 主はモーセに言われた、 

2 「銀のラッパを二本つくりなさい。すなわち、打物造りとし、それで会衆を呼び集め、また宿営を進ませなさい。 

3 この二つを吹くときは、全会衆が会見の幕屋の入口に、あなたの所に集まってこなければならない。 

4 もしその一つだけを吹くときは、イスラエルの氏族の長であるつかさたちが、あなたの所に集まってこなければならない。 

5 またあなたがたが警報を吹き鳴らす時は、東の方の宿営が、道に進まなければならない。 

6 二度目の警報を吹き鳴らす時は、南の方の宿営が、道に進まなければならない。すべて道に進む時は、警報を吹き鳴らさなければならない。 

 結果的に、キリストの救いを拒否した人々の裁きのために復活(黙示20:12-14;ヨハネ5:29;使徒24:15)を合わせると、聖書には三段階の復活が啓示されていることになる。