キリストにおいて(5)御霊による分別
Ⅰコリント7:6,10,12,17,25,40
6 以上のことは、譲歩のつもりで言うのであって、命令するのではない。
10 更に、結婚している者たちに命じる。命じるのは、わたしではなく主であるが、妻は夫から別れてはいけない。
12 そのほかの人々に言う。これを言うのは、主ではなく、わたしである。ある兄弟に不信者の妻があり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。
17 ただ、各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態にしたがって、歩むべきである。これが、すべての教会に対してわたしの命じるところである。
25 おとめのことについては、わたしは主の命令を受けてはいないが、主のあわれみにより信任を受けている者として、意見を述べよう。
40 しかし、わたしの意見では、そのままでいたなら、もっと幸福である。わたしも神の霊を受けていると思う。
結婚という非常にデリケートなテーマを扱うなかで、パウロの謙虚さと思考の明晰さは驚くべきものである。彼は、「主から来る命令」と「自分の意見」、「絶対に譲歩できない教え」と「譲歩できる意見」、「普遍的命令」と「状況的勧め」の違いを明確かつ謙虚に理解していた。このことは、彼が絶えず祈りの中で主の御前に立っていたことを証ししている。パウロは、自身の中に御霊の剣をもち、全ての事のきわどい裁きを御霊に委ねていた。また、主から啓示を受けた真理をそのまま真っ直ぐ語り、明確な啓示を受けてないことを「はっきり主から啓示を受けていない」と語れる謙虚さをもっていた。彼がキリストのなかに生きていたことのしるしである。
へブル4:12
というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
エレミヤ15:19(新共同訳)
それに対して、主はこう言われた。「あなたが帰ろうとするなら/わたしのもとに帰らせ/わたしの前に立たせよう。もし、あなたが軽率に言葉を吐かず/熟慮して語るなら/わたしはあなたを、わたしの口とする。あなたが彼らの所に帰るのではない。彼らこそあなたのもとに帰るのだ。
エレミヤ15:19(新改訳)
それゆえ、主はこう仰せられた。「もし、あなたが帰って来るなら、わたしはあなたを帰らせ、わたしの前に立たせよう。もし、あなたが、卑しいことではなく、尊いことを言うなら、あなたはわたしの口のようになる。彼らがあなたのところに帰ることがあっても、あなたは彼らのところに帰ってはならない。