an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

キリストにおいて(4)隠された知恵と知識の宝

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コロサイ2:3

キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている。 

 「In Christ」

 私達は、この非常にシンプルな真理に対して、同じようにシンプルな信頼を持てなくて、あちこち「宝探し」に時間と労力を浪費しがちである。頭ではこの真理を受け入れていても、「われわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない」「隠れた宝庫」を前にして、実際にはサマリヤの女のように、「主よ、あなたは、くむ物を持っていないので、どこからそれを手に入れるのですか」と、戸惑いを感じてしまうのだ。

ヨハネ4:10,11

10 イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。 

11 女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。 

  しかし、主はサマリヤの女の戸惑いをご存じであったように、私達の困惑もご存じで、ご自身を啓示してくださることで、私達をその「隠れた宝庫」の中に招き入れてくださるのだ。

ヨハネ4:25、26

25  女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。 

26 イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。 

 何か特別な道具が必要なわけでもなく、暗証番号も要らない。神が私達をキリストのうちに入れてくださったことを信じる者は、そのシンプルな信仰によって、隠れた神の宝の素晴らしさを知ることができるのである。

コロサイ2:9,10(岩波翻訳委員会訳)

9 キリストの内に〔こそ〕神性の全き充満が形態化して宿っており、

10 あなたがたはキリストーすなわちあらゆる支配と権勢の頭ーにあって満々と満たされているのだから。

 この聖句に関して、この岩波翻訳委員会訳は原語の直訳に近く、考察の助けになる。あらゆる知恵と知識の宝とは、キリストの神性に関することであり、しかもその神性がキリストの人性のうちに「形態化して宿っている」のである。そして「全き充満」は、無限の拡がりをもちながらも欠けることも希薄になることもない、ダイナミックで生命に満ち満ちた状態を表している。すぐ目の前にあるものも、はるか遠くにあるものも、同じように完全で豊かであり、どこにも隙間というものがなく、すべての要素が繋がっていて相乗的・統合的な状態である。

 そして何よりも驚くべきは、私達罪びとがその「神性の全き充満」の中にあって「満々と満たされている」という啓示である。この真理を体験するとき、ダヴィデが夜空を見上げて畏敬の念に包まれたように、私達は真に「神を賛美する」「神を愛する」ということがどういうことか、少しだけ理解するのである。

詩編8:3,4

3 わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。 

4 人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。

 サマリヤの女が自分の水瓶を放っておいて、町の人々の所へ証をしにいったように、私たちも「自分の水瓶」を捨てて、キリストの宝の素晴らしさを語らずにはいられないのである。