an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

三位一体の神との交わり

ローマ8:14-16

14 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。 

15 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。 

16 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。

ガラテヤ4:4-7 

4 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。 

5 それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。 

6 このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。 

7 したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子である。子である以上、また神による相続人である。 

 『神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さった』と、『あなたがたは、・・・子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである』という二つの啓示を、統合的に考察すると、御子イエス・キリストの霊が私たちの心に与えられているという事実が、如何に素晴らしいか、さらに神に感謝することになるであろう。

 まず一番目の啓示の主語は、「神」そして「御子の霊」である。神が御子の霊を私達の心の中に送ってくださったのである。そして、その御子の霊が、私たちに「子たる身分」を授けて下さり、私達の心の中で、「アバ、父よ」と神を呼ぶのである。 この啓示は、私達を謙遜にし、従順に神の霊の働きを静かに待つ心を与えてくれる。また、どうしても祈れないとき、またどう祈っていいか判らないときの大いなる慰めである。

ローマ8:26

御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。 

 そして二番目の啓示の主語は、「私達」である。罪人である私達が恵みによって、「子たる身分を授ける霊」を受け、私達がその霊によって心の中で「アバ、父よ」と呼び求めるのである。私達は、神のロボットでも操り人形でもない。キリストにある新しくされた人格によって、「アバ、父よ」と祈るのである。

 この真理に疑いの思いが湧いたり、「自分はふさわしくない」という的のズレた思い(ふさわしいから子になるのではなく、子だからふさわしくしようと思うのである)に縛られそうになるとき、同様に御霊が私達を助け、御子の霊と一つになった私達の霊と共に、神の前で証明してくださる。

16 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。

 先日、神との交わりの場所について書いたが、私たちの交わりは、三位一体の神の「中に」ある。そこには何ひとつ欠けたものはない。全てが神聖で、完全である。三位一体の神が私たちの全てである。

 この啓示は、まさに「アメイジング・グレイス」、驚くばかりの恵みである。