an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

空の色、時のしるし

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マタイ16:1-4

1 パリサイ人とサドカイ人とが近寄ってきて、イエスを試み、天からのしるしを見せてもらいたいと言った。 

2 イエスは彼らに言われた、「あなたがたは夕方になると、『空がまっかだから、晴だ』と言い、 

3 また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ』と言う。あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのか。 

4 邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう」。そして、イエスは彼らをあとに残して立ち去られた。 

ルカ12:54-59

54 イエスはまた群衆に対しても言われた、「あなたがたは、雲が西に起るのを見るとすぐ、にわか雨がやって来る、と言う。果してそのとおりになる。 

55 それから南風が吹くと、暑つくなるだろう、と言う。果してそのとおりになる。 

56 偽善者よ、あなたがたは天地の模様を見分けることを知りながら、どうして今の時代を見分けることができないのか。 

57 また、あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか。 

58 たとえば、あなたを訴える人と一緒に役人のところへ行くときには、途中でその人と和解するように努めるがよい。そうしないと、その人はあなたを裁判官のところへひっぱって行き、裁判官はあなたを獄吏に引き渡し、獄吏はあなたを獄に投げ込むであろう。 

59 わたしは言って置く、最後の一レプタまでも支払ってしまうまでは、決してそこから出て来ることはできない」。 

  先日、ブログ村でサイト探しをしていたら、ある一枚の空の画像に目が留まった。建物などもほとん映っていない、ただ空を撮影した一枚の写真である。私の関心を引いたのは、その空の色が私が普段見ている空と同じ色合いをもっていたからである。「これはボローニャの空と似ているなあ」と思い、サイトを訪問してみると、まさにボローニャ在住の日本人の方のサイトであった。

 その土地の地形、気候、湿度、緯度の違い、環境汚染の度合など、様々な条件が組み合わさってその土地独特の空の雰囲気がつくられるのだろうが、一枚の小さな写真に自分が普段見ている空の雰囲気を直感的に感じたのだろう。しかしその直後、聖霊が私の心に語りかけてきた。「あなたは天上の事、霊的な事でも同じように見分けることができるか。同じような繊細さをもって認識できるか」と。

 冒頭の二か所の聖句は、それぞれ異なる機会に異なる人々を対象に語られたものだが、二か所とも戒めのトーンで語られている。「あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのか」 「偽善者よ、あなたがたは天地の模様を見分けることを知りながら、どうして今の時代を見分けることができないのか」。そしてルカによる福音書には、「あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか」とも書かれている。

 イエス・キリストは、私達が「時のしるし」「今の時代」を見分け、「正しいこと」を自分で判断すべき存在として扱っている。それでは、「時のしるし」「今の時代」「正しいこと」とは一体何のことを指しているのだろうか。イエスが十字架に架けられる前に、エルサレムに対して語った嘆きの言葉がそれを暗示している。

ルカ19:41-44

41 いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、 

42 「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら……しかし、それは今おまえの目に隠されている。 

43 いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、 

44 おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである」。 

  今、この瞬間に、私たちの前に「平和をもたらす道」が備えられている。今、この瞬間にも、イエス・キリストは私達の心の扉を前に立ち、戸をたたいておられる。彼が戸の前から去ってしまう前に、私達は戸をあけなければならない。

 ある人にとっては、秋空のように刻一刻と移ろう、頼りのないものに思えるかもしれない。しかし、それは大空のように確かに存在し、暗闇の中でも変わることがないものである。

 

聖書引用

口語訳聖書 (c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955