an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

御言葉を愛する人

Ⅱテモテ4:13-18

13 あなたが来るときに、トロアスのカルポの所に残しておいた上着を持ってきてほしい。また書物も、特に、羊皮紙のを持ってきてもらいたい。 

14 銅細工人のアレキサンデルが、わたしを大いに苦しめた。主はそのしわざに対して、彼に報いなさるだろう。 

15 あなたも、彼を警戒しなさい。彼は、わたしたちの言うことに強く反対したのだから。 

16 わたしの第一回の弁明の際には、わたしに味方をする者はひとりもなく、みなわたしを捨てて行った。どうか、彼らが、そのために責められることがないように。 

17 しかし、わたしが御言を余すところなく宣べ伝えて、すべての異邦人に聞かせるように、主はわたしを助け、力づけて下さった。そして、わたしは、ししの口から救い出されたのである。 

18 主はわたしを、すべての悪のわざから助け出し、天にある御国に救い入れて下さるであろう。栄光が永遠から永遠にわたって主にあるように、アァメン。  

  もしあなたや私が使徒パウロの立場だったとしら、何を求めただろう。一回目とは違い、今回の収監は全く自由の利かない、冷たく小さな監獄であり、老齢のパウロには相当厳しいものだったはずである。実際、パウロはテモテに上着を持ってくるように依頼している。それにもまして、皆に捨てられ、公判の場でアレキサンデルに激しく糾弾され、偽り者扱いされていたのである。六節「わたしが世を去るべき時はきた」や十八節からも理解できるように、彼は明らかに地上の人生の終焉を意識していた。

 にもかかわらず、彼はテモテに「書物」つまり聖書を求めているのである。彼は目の病気に悩まされ、視力に問題があったと言われている。それでも、丈夫な羊皮紙に書かれた聖書を求めていた。御言葉を何よりも愛し、御言葉によって生きていたからである。この時のパウロには、勇気を与えてくれる様々な楽器の伴奏も麗しいコーラスもなく、礼拝の後に「今日の説教は素晴らしかったですよ。感動しました」と励ましの言葉をかけてくれる兄弟もいなかったが、パウロは自分に本当に必要なことを完全に知っていたのである。

 同じように、老齢の使徒ヨハネは、流刑の地パトモス島で、孤独の中、全二十二章にも及ぶ神の啓示を忠実に書き記した。その時は、彼一人しかその啓示を知るものはいなかったが、その一句一句を、愛する主イエスの前で書き記した。彼もまたパウロ同様、御言葉を愛し、御言葉に生きており、自分が置かれた状況で何をすべきか完全に理解していたからである。

詩編119:17-24 ギメル

17 あなたのしもべを豊かにあしらって、生きながらえさせ、み言葉を守らせてください。 

18 わたしの目を開いて、あなたのおきてのうちのくすしき事を見させてください。 

19 わたしはこの地にあっては寄留者です。あなたの戒めをわたしに隠さないでください。 

20 わが魂はつねにあなたのおきてを慕って、絶えいるばかりです。 

21 あなたは、あなたの戒めから迷い出る高ぶる者、のろわれた者を責められます。 

22 わたしはあなたのあかしを守りました。彼らのそしりと侮りとをわたしから取り去ってください。 

23 たといもろもろの君が座して、わたしをそこなおうと図っても、あなたのしもべは、あなたの定めを深く思います。 

24 あなたのあかしは、わたしを喜ばせ、わたしを教えさとすものです。