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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「日曜日礼拝参加厳守」について

 「日曜日礼拝参加厳守」について、ある掲示板で議論になっている。投稿を試みたが、うまくできなかったので、とりあえず自分のブログに書き記すことにした。

 

 「日曜日礼拝厳守」と言うテーマで議論になっているが、まず「日曜日礼拝」と「厳守」という二つの要素を別々に考える必要がある。

 「日曜日礼拝」について、聖書の中では「日曜日」という表現は使われていないが(この表現は、英語のSundayと同じく、ローマ帝国時代の神、Sol Invictusに対する礼拝を起源とし、「Dies Solis 太陽の日」と呼ばれていた)、主イエス・キリストが復活した、安息日の次の日の「週の初めの日」(マタイ28:1;マルコ16:1―2、9;ルカ24:1;ヨハネ20:1)として、信徒たちが集まっていた「週の初めの日」(使徒20:7;第一コリント16:2)として、また「主の日」(黙示録1:10)として、新約聖書の中で明確に言及されている。つまり使徒の時代にはすでに「週の初めの日」すなわち日曜日に、礼拝を捧げるために信徒たちが集まる習慣があった。

 殉教者ユスティヌス(西暦100年―162/168年)も、彼の著書『第一弁明』の中で、「Dies Solis」に神の言葉を読むために信徒たちが集まり、その日は主イエスが復活した日であったことを記録している。

LXVII

3. そして「太陽の日」と呼ばれる日に、町や地方の住民の皆が一緒に集い、時間が許される限り、使徒たちの記録や預言者たちの書を読む。

7.神が暗闇や物質、つまりこの世界を造り変えた最初の日であるゆえ、太陽の日に皆一緒に集う。また私たちの主イエス・キリストは、この日に死から復活した。実際、土星(サトゥルヌス)の日の前日に(彼らは)彼を十字架に架け、土星の日の次の日、太陽の日に、使徒たちや弟子たちに姿を顕した。あなた方にも提示したこれらの教えをあなた方が検証するように、(イエス・キリストは)教えている。

 そして「厳守」という要素に関してだが、当時Sol Invictusの信奉者であったコスタンティヌス皇帝は、西暦321年3月7日に、週の初めの日「Dies Solis」を休息の日として定めた。そして、西暦380年にテオドシオ皇帝は、帝国の唯一の宗教としてキリスト教を定める勅令を出し、その他の宗教を禁止した。そして、西暦383年11月3日に、「Dies Solis」を「Dies Dominicus 主の日」と言う名前に変更した。そこから発展し、カトリックの教義では、日曜日を律法による安息日の成就と解釈し、かの日の礼拝参加を義務づけた。

 へブル10:25に「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか」とあるが、「互いに励まし合い、イエス・キリストの再臨の日に備える」という目的を考慮するなら、日曜日に仕事で礼拝に参加できない信徒や求道者のために、週日の夜や土曜日にも礼拝をするという教会側の配慮があってしかるべきなのではないかと思う。それが、律法や義務によってではなく、キリストの恵みによって生かされている教会にふさわしいのではないだろうか。