an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「老い」と「成熟」

「老化」とは「喪失・衰退・決別による聖化」、「引き算による花嫁修業最終ラウンド」http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3642

『命と性の日記~日々是命、日々是性』より

 

 現実から剝離した気恥ずかしい程の「若さの崇拝」が、すっかり教会に浸透してしまっている時代には、とても重要な意見だと思う。必読である。

 しかしよく考えれば、誰も自分の「花嫁修業」がいつ終るのか知らない。自分の「花婿」がいつ迎えに来るか、誰も知らないからである。「晩年」という言葉には、「年老いてからの時期」という意味と、「一生の終わりに近い時期」という意味があるが、「今」が自分の「晩年」であり得ることを、誰も否定することはできなのである。

 だから私たちは「老い」を意識する以上に、「成熟」と「完成」を求められている。

伝道12:1,2

1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、 

2 また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。

エペソ4:13-15

13 わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。 

14 こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、 

15 愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。